essay
  平成16年1月3日 
海を見ながら
思えば遠くへ来たもんだ
版画の年賀状
 元旦の朝、朝湯につかって初日の出を浴びながら海を見ていたら、なんだかとってもいい気持ちになって、鼻歌が飛び出した。
 ♪踏切の側に咲く コスモスの花ゆらして 
  貨物列車が走り過ぎる そして夕陽に消えてゆく…
  
 暮れも押し詰まった30日の夜、夜なべ仕事でウニをパックに詰めながら聴いていた武田鉄矢の歌が耳に残っていて、つい鼻歌になって出たのだった。
 私が少年時代を過ごした世田谷用賀の家は、裏庭に接して玉電が走っていて、電車が通り過ぎるたびに家が揺れた。すぐそばに車庫があって、トロッコで遊んだり、線路にクギを置いてぺしゃんこになったクギを研いでナイフをつくったりもした。線路を挟んでよくキャッチボールもした。線路際にはいつも花が咲いていて、コスモスもあったような気がする。
   
 ♪思えば遠くへ来たもんだ…
 
 そう、遠くへ来ちゃったよなあ、と思う。長崎へ来て10年。なんでいま、ここにいるんだろう。いつだったか、畑で土を起こしながら、妻に言って二人で笑ったことがある。「おれはさ、大学で仏文を勉強してさ、サルトルだ、カミュだとか言ってさ、なんで、いま長崎で地下足袋履いて、クワをふるってるの?」
 
 ♪河は流れてどこどこ行くの 人も流れてどこどこ行くの…

 鼻歌2曲目はこれ。私はこの喜納唱吉の「花」を、自分の葬式の時に流してくれと妻に頼んである。
 自分の花を咲かせたいと思ったこともあるけれど、この頃は別に咲かなくてもいいかと思うようになった。どっちでもいい。
 庭にはもう、水仙の花が咲いている。冬の花、水仙は冷たい風の中でも凛としている。孫の凛(茅ヶ崎にいる)は、元気にしているだろうか。のんびり朝湯につかっていると、いろんなことに思いが巡る。正月だからこその贅沢とはいえ、これも田舎だからできること。遠くへ来ちゃったけれど、これでよかったのかもしれない。水が低いところへ流れるように、人も流れるところへ流れて行くのだろう。

 ことしも、いっぱい年賀状をもらった。
 うれしい年賀状もあれば、そうでもないものもある。いつも思うけれど、年賀状というのはどうして、いつも意外な人から来るのだろう。ことしは、元旦に61枚、3日に30枚来た。
 72歳で亡くなった明治生まれの父は、「年賀状は元旦に書くもんだ」と言って、がんとして年末には書こうとしなかった。それを見てはいたが、昭和生まれのせがれは、年末に書いたり、元旦に書いたりしてきた。
 それにしても、この頃はみんなパソコンだ。こぎれいな年賀状が多い。
 私は、いまだに版画を彫り続けている。下手な版画だ。
 下手だけど、喜んでくれる人もいる。「毎年、楽しみにしている」なんて言ってくれる人もいる。お世辞とは分かっているけれど、ひとりでもそう言ってくれる人がいれば、またやろうかという気になる。印刷だけで何も手書きのないものは、もらってもちっともうれしくない。くれなくていい。
 面倒だろうけど、その面倒さが気持ちではないのか。
 数年前までは、手彫り版画の賀状を幾枚ももらったが、ことしは版画の年賀状は1枚だけだった。版画ではないが、数えで92歳になる母が、見ざる、言わざる、聞かざるの絵を描いた賀状をくれた。下手な絵だけど、下手でもこういう賀状がうれしい。絵の横には、「健康に気をつけて良年をお迎へ下さい」と書いてあった。