essay
  平成16年7月1日 10
海を見ながら
思えば遠くへ来たもんだ
どなたか存じ上げませんが
 
 花の名前が思い出せない。
 どうしても思い出せない。
  
 早朝ジョグから帰って庭でストレッチをしていたら、露天風呂の脇に白い花が咲いていて、(ああ、夏が来たな…)と思った。毎年、夏の到来を知らせてくれる花で、えーと名前は…、えーと、あれ…、待てよ。

 「名前が思い出せないときは、人に聞いたり、そのままにしておいてはいけない。物忘れの症状をひどくする。必ず自力で思い出すまで頑張ること」という話を最近、ある本で読んだばかりなので、一生懸命思い出そうと努力してみた。シャワーを浴びながら、朝食を食べながら、夕方風呂につかりながら、ビールを飲みながら、布団に入っても、ずっと頑張ってみたが思い出せない。うーっ。
 翌朝、外出しようと玄関に足をおろしたところで思い出した。
 「むくげ、だ

 
 花の名前ひとつ思い出すのに丸一日かかってしまったが、まあでも、思い出せたのだからよしとしよう。いや、よしとしちゃいけないかもしれない。これには哀しい続きがある。
 翌朝、外出しようとしたところで思い出したと書いたが、その外出先というのが実はサックスのレッスン先で、そこまで車で40分ほどかかる。その朝は、「むくげ」を思い出したので浮き浮きと鼻歌など歌いながら車を走らせた。で、目的地に到着し、サックスの入ったケースを取り出そうとして後ろのトランクを開けたら、あら? 無い!
 家の玄関に置いて来ちゃったのだ。来ちゃったんだよなあ。
 
 手ぶらでレッスンを受けに来た人は初めてですと笑われたが、それで思い出した。
 千葉にいたときのことだから、もうかれこれ十年以上も前の話になるが、その頃、休日になると自転車の練習をするため、亀山ダムというところまでよく通っていた。道がきれいで交通量も少ないので練習コースとしてはもってこいの場所だった。自転車の前輪をはずして車のトランクに入れ、そこまではいつも車で行っていた。その日も、そうやって現場にやって来たのだったが、車のトランクを開けたら、前輪がなかった。家の前に置いたまま来ちゃったのだ。
 ロードレーサーというのは、前輪と後輪があって初めて走れるのであって、後輪ひとつでは進まないし、だいいちそのまま乗っても前に転げ落ちてしまう。マウンテンバイクじゃないからウイリーもできない。どうにも手持ちぶさたで帰るしかなく、これは結構つらいものがあった。
 もうひとつ、それに比べればまだましだったが、もっと昔、いまから三十年くらい前、山とスキーに熱中していた頃、ある時、スキーへ行った帰りに、電車(玉電)の車内へスキー板を忘れてきたことがあった。疲れていたので居眠りをし、でもちゃんと下車駅の用賀駅では起きて、ザックを担いで家まで歩いて帰ってきた。玄関に入ってから、あれ、きょうは山じゃなかった、スキーへ行って来たんだと気がついた。
 翌朝、終点の二子玉川駅に電話したら、「ありますよ」というので、取りに行った。スキー板の忘れ物はめずらしいと、駅員が笑っていた。頭をかきながら、そうだろうなと思った。

 忘却は忘れた頃にやってくる、ということわざがあるが、(ないか)、ときどき、大きな忘れ物をする。でも、なんでこんなポカをやらかすんだろう。こういうのは性格とか、血液型とか何かあるのだろうか。まさか遺伝ということはないだろうが、ただ、忘れる、忘れないということで言えば、性別は関係しているような気がする。
 女はおおむねそうじゃないかといままでの経験上思うのだが、昔のことを何でもよく覚えている。あのときあなたはこう言ったとか、結婚記念日(きょうは何の日か覚えてる?)だとか、ひとの誕生日だとか、子どもの誕生日、親の死んだ年。それはまだいいとして、ひとが昔つきあっていた彼女の名前まで覚えている。しぶといというか、しつこいというか、粘着質というか、恐ろしいというか、とにかく忘れない。普段は黙っているが、何かの時、いきなり言い出す。脈絡なしに来るから油断できない。ほんとに困る。
 その点、男は(というか私は)すぐ忘れる。何でも忘れる。なんにも覚えてない。朝食の後、コーヒーを飲み、寝ころんで新聞を読んでいて、「おい、おれ、きょう朝飯食べたか?」と聞くことがある。「いやーね、いま食べたばかりでしょ」とあきれられ、ちょっとアブナイという気が自分でもするけれど、ほんとにすぐ忘れちゃう。そのうち多分、女房の顔も忘れてしまうような気もする。
 「どなたか存じ上げませんが、お世話になります」かなんか言い出すんじゃないかと、この頃、ふと思ったりしている。
 
 ♪忘れてしまいたい事や
   どうしようもない寂しさに
   包まれた時に男は…
 
 そうだ、今夜も酒を飲もう。