essay
  平成16年8月1日 11
海を見ながら
思えば遠くへ来たもんだ
完全なる敗北
 昔の恋を語る男は哀しい。
 昔のスポーツを語る男はもっと哀しい。

「泳ぎに行かない?」という妻の声に右目を開けると、妻が水着姿で庭に立っている。黒のワンピース水着に、赤いリボンが可愛いつば広のお出かけ用麦わら帽子。サングラスで細い目を隠し、黄色いビーチサンダルを突っかけ、手には大きな袋を下げている。袋にはビニールシートや冷たいお茶が入っているのだろう.。
 ビキニ姿のくびれのお嬢さんなら両目を開けて飛び起きるところだが、ウエストくたびれおばさんのお誘いでは速やかに左目が開かない。

「おーい、ヤマちゃん、泳ぎに行くかい」と奥に声をかけると、ヤマちゃん、のそのそ昼寝から起きてくる。庭に干しておいた水着を取り入れ、着替えて出発。男どもは上半身裸。スイムキャップとゴーグル、ビーチシューズを持って、ユメも連れて下の道を降りていく。畑にひまわりが咲いている。花が好きな妻は、なかでもひまわりが大好きなのだという。
 太陽がまぶしい。頭も体も足も燃えてしまいそうに熱い。ことしの夏の暑さは半端じゃない。いつまでこの暑さが続くのか。水につかってなけりゃ死んでしまいそう。
 
 出がけに露天風呂の釜に火を付けてきたので、振り返ると庭から白い煙が立ち上っている。下の海岸までは狸しか通らない細い山道。急坂を下りうっそうとした木のトンネルをくぐり抜けるとそこが砂浜。右側と左側が岩場のプライベートビーチだ。
 日差しが強いからだろう。水は冷たくない。きのうも、おとといも三人で泳いだ。ヤマちゃんは、昔のトライアスロンの仲間だ。毎年、夏になると一緒に全国のレースを回った。
 浜から100bほどの海の真ん中にポツンと小さな岩場があって、きのうまではそこを往復したり、右側の磯でサザエやオンジ貝を採って遊んだ。
 中央の岩場からさらに沖合300bほどのところに、定置網の白い大きなブイが浮かんでいる。きょうはそこまで泳ごうということになった。
 ヤマちゃんが勢いよく泳ぎ出す。私は四十肩が痛く左肩が上がらないので、クロールができない。平泳ぎで後を追う。往復で約800b。フルのトライアスロンでスイムは3、9`、ショートのトライスロンでも1、5`だ。(800bなんてめじゃない…)。
 と思ったのがマチガイだった。
 白いブイにたどり着くまでに息が上がってしまい、Uターンしたら浜がやけに遠くに見えて一瞬、焦った。手も足も疲れてしまって、少し不安がよぎる。平泳ぎなのでクロールのように早く前に進まないし、潮にも流される。必死に泳いだのは何年ぶりだろう。
 なんとか水を飲むこともなく浜にたどり着いたけれど、そのまま座り込んでしまった。それにしても、いくらふだん泳いでないとはいえ、800bでアップアップとは何というていたらく。でも、考えてみればそうなのかもしれない。ランの練習だっていまじゃ10kmが精一杯で、途中で膝やふくらはぎが痛くなって歩いてしまうことがある。今朝も5時半に起きて走ったが、たったの5kmだ。その後すぐバイク(自転車)に乗ったが、これもわずか20km。これじゃ、ショートのレースにも出られない。それなのに気持ちだけは、まだやれると思ってる。なにも分かっちゃいないのだ。

 年を取ったのか。それとも、トレーニング不足か。おそらくその両方なのだろうけど、体力の衰えは仕方ないにしても、それよりモンダイなのは、想像力の欠如だ。判断力と言ってもいいか。ジョギングも満足に走れないのに、ましてや全然泳いでなくて、それも準備運動も何もしないでいきなり泳いで、800bなんて軽いと思う気持ちの甘さ。そんなことは泳ぎ出す前に気がつくべきなのにそれが見通せない。カラダもそうだが、それ以上にアタマが衰えてしまっている。これが年を取るということ、ボケるということなのだろうか。
 
♪坊〜や、いったい何を教わって来たの
  わたしだって、わたしだって、疲れるわ…

 早朝、ランとバイクをやって、露天の水風呂に入って、遅い朝飯を摂って、ゆっくりコーヒーを飲みながら新聞を読んで、ピアノを練習して、そのあとせんだんの大木に吊したハンモックでヘミングウエイの、『海流のなかの島々』を読み返した。暑いから仕事は何もせず、午後の昼寝をむさぼっていたら、妻に起こされたのだった。
 そして、完全なる敗北。
 きのうのよかった夢も、きょうのわるい夢も、よく冷えたビールを飲んで忘れよう。そう、それっきゃないだろう。