essay
  平成17年1月30日 17
海を見ながら
思えば遠くへ来たもんだ
消えていく。
 寒いので炬燵に首までもぐり込んで、高枕でテレビの大阪国際女子マラソンを見ていた。大南が突っ走っていたので、行け行けと応援しながら見ていたが、でも、こりゃ最後まで持たないなと予測して、活きのいい小崎に鞍替えした。
 途中、ちょっと退屈してテーブルの上を見たら、みかんで作ったお菓子があったのでつまんだら、口の中に残った筋が歯の間にはさまった。舌でうまく取り出してぷっと掃き出したら、真下に落ちてきておでこにぴたっと張り付いた。なんだよ、と思ったけど手を出すのが面倒なので、頭をブルブルっと振ったけど落ちない。しょうがないのでもっと深く炬燵にもぐり込んで、おでこを布団にこすりつけて取り除いた。
「天に向かってつばを吐く」という格言を思い出して、悪いことをすると罰が当たるんだよなと思って、そう言えば最近はおれは悪いこと何もしてないよなあと自分勝手に判断しながらまた、テレビを見たら、形勢が逆転していた。

 で、何を書こうとしていたかと言えば、スペインのことだった。 
 
 そう、スペインへ行ってきたのだった。
 大好きなミロやピカソ、それにガウディなんかも見てきた。
 ピカソ美術館は、パリのほうがずっと充実していたが、ミロ美術館は楽しかった。
 地下鉄のスペイン広場駅から歩いて20分ほど。ちょっと道に迷ったりしたが、モンジュイックの丘のオリンピック競技場のすぐ側にミロ美術館はあった。一番乗りで開館前についてしまい、時間があったので競技場に向かう坂道を有森裕子になりきって50bほど走ってみた。結構な急坂であった。バカだねぇ。
 ガウディは、本やテレビで見た通りの建築物の再現ばかりで新鮮味がなく、感動も薄かった。旅を楽しくしようと思ったら、事前の情報はなるべく少なくした方がいいね。何も知らない方が、感動は大きい。
 帰ってきてアルバムをつくろうとしていた妻が、記念写真が全然ないと嘆いていた。
 私は記念写真や観光スポットなどにはもともとあまり興味がなく、町角の写真ばかりを撮っていた。石造りの家、石畳の曲がりくねった道、、細い路地。ヨーロッパの町はどこも、それぞれの町にそれぞれの顔があって楽しい。有名な建築物よりも、そうしたなんでもない町角の風景になにか哀愁のようなものを感じて、つい見とれてしまう。そこに腰をかがめた老婆が来るのを待って、私はシャッターを切る。なんか絵になるんだよなあ。
 
 この頃、日本の町は、どこへ行ってもみな同じような顔になってしまっているような気がする。とりわけ駅前の風景がそうだ。ロータリーがあって、バスとタクシーが止まっていて、何の変哲もないのっぺりした灰色のビルが立ち並んでいる。駅前の風景だけではない。駅舎もそうだ。
 2年ほど前だったか、たまたま古里の町を30数年ぶりに訪ねる機会があった。東京世田谷の用賀。その駅前通りにあった私の家は、見るも恥ずかしい真っ黄黄のゲームセンターに変わっていた。これは前にもどこかで書いたことがあるけれど、隣の八百屋もその隣の魚屋も、家の前にあった金物屋も材木屋も、みんな跡形もなく消えていた。家の裏の玉電の軌道は広い道路になり、東急玉川線となって地下に潜っていた。いつも草野球をして遊んだ原っぱには高層ビルが建ち並び、缶蹴りや隠れんぼをした横町には高速道路が走っていた。
 学校の帰りに飛び越えて遊んだり、エビガニを捕ったりした小川は埋め立てられて道路になり、一面の畑だったところは高級住宅街に変身し、昔の道筋もすっかり消えてしまっていた。
 そうやって古里の町は発展し、友だちもみんなどこかへ行ってしまったのだった。
 
 長崎の片田舎に移ってきて10年になるが、ときどき、古里へ帰りたいと思うことはありませんかと聞かれることがある。でも、私には帰りたい古里なんかない。跡形もないのだから。
 スペインの町を歩いていると、何気ないところに古い橋があったりする。古そうだなあと思って聞いてみると、ローマ時代の橋だと言う。そういうのがごろごろある。コルドバなんていう町は、町全体が世界遺産だった。イスラムからキリストに変わって、でも町並みはそのままで、そういうのってスゴイよね。それと、家の壁や屋根の色なども条例で決められているとかで、統一されているから、とにかく落ち着きがある。真っ黄黄のゲームセンターなんてどこにもない。
  
 琴海町が、長崎市に編入合併するらしい。そういう動きを見せている。町長や議員を初め古くからの住民の多くが、町が市になることを強く望んでいるのだ。ひとにはそれぞれの思いがある。住所に郡だの郷だのがついているのが恥ずかしいというひともいるし、大きなところとくっついておけば財政上、とりあえず先行き心配がないと考えるひともいる。急がないとお金がもらえない。急げ急げ。長崎市への編入がきまれば、それはいいこともあるのだろうけど、暮らしにくくなることはいくつも想像できる。琴海町という名前もなくなってしまうのだそうだが、こんないい名前をそんなに簡単になくしてしまっていいのかい。名前よりお金か。そうだ、発展だ。ハッテン、ハッテン、長崎バッテン。
 そしてまたひとつ、古里が消える。残念!