essay
  平成17年6月1日 19
海を見ながら
思えば遠くへ来たもんだ
テイク・ファイブはまだ早い
 サックスのことを書こう。
 セックスのことではないので、勘違いしないでいただきたい。
 もう少し若いときならセックスについて書いたかもしれないけれど、このトシになってはカクほどの元気は持ち合わせていない。
 この前、どうもこの頃、元気が出ないんだよと嘆いたら、トモダチが薬を1錠送ってきてくれた。バイなんとかという有名な薬だそうで、半分飲んだだけでゼッタイ元気になるという。マチガイない、おれがカタく保証するとも書いてあった。そいつは薬なんて飲まなくても元気なやつだから、あんまり当てにならないのだが、それより昔から薬と医者は信用してないのでせっかくだけど机の引き出しに入れたままになっている。まだ試してない。
 だから状況は変わらないままなのだが、考えてみれば、トライアスロンをするほどの体力がなくなったから、音楽の方向に逃げ道を見つけたのかもしれない。いつでも逃げ道を作っておくことは大切で、いざというとき逃げ込む場所があれば、カラダはだめでもココロの健康は保てる。
 深謀遠慮でいつかはサックスをやってみたいなあとずっと前から言い続けていたら、初めて年金をもらった記念に妻がアルトサックスを買ってくれた。安物ではあるけれど一応、新品で私の大事な宝物になっている。週1回、長崎市内まで通って個人レッスンを受けている。習い始めてからまもなく2年になる。
 2年もやればだいぶん上達しただろうと思われるかもしれないが、そうはうまくいかない。もちろん、音は出せるようにはなったけれど、先生のように、「いい音」が出ない。上手なひとが奏でるサックスの音色と、初心者が吐き出す音とではまるで月とスッポンポンで、聴く人をいい気持ちに酔わせるか悪酔いさせるかくらいの差がある。
 それでも、毎日練習はしているので少しは吹けるようにはなっていて、「はい、いいでしょう。つぎの曲行きましょう」と先生からお許しが出た曲が、かれこれ20曲になる。『枯葉』、『スターダスト』、『メモリーズ・オブ・ユー』、『星影のステラ』などのジャズ・スタンダード。『わが心のジョージア』や、『朝日の如くさわやかに』などもある。すごいでしょ、と自慢したくなるところだけれど、なに、冷静に考えればぜんぜんすごくない。きょうも、ドレミファソラシドのドレとシドのつながりがきれいじゃないのでもう少し頑張って練習してきて下さいとダメだしを出されたばかりで、まだ、それくらいのレベル。年寄りの冷や水で始めた楽器はなかなかどうして容易ではない。
 
 アルトサックスは音が大きいので、家で練習するときは厳重に部屋を閉め切って、音が外へ漏れないように注意している。畑の中の一軒家なので隣家に聞こえる心配はないのだけど、郵便屋とか宅配便、あるいは近所のひとがいきなり来たりして聴かれるとマズイので、必ず窓の外に目を配りながら吹いている。人の気配がしたらぴたっとやめる。それだけ注意してやっているのに先日、近所のひとから、「金子さん、トランペットやってるでしょう」と言われてしまった。
 いや、アルトサックスですと言い張るのもなんなので、「はい、すみません」と謝ってしまったが、そう言えば、ちょっと前に町内の女性たちにエッセイの書き方を教えていたことがあって、そのときは、「エステの先生」と呼ばれたことがあった。そのときも別に面倒なので訂正はしなかったが、エッセイの先生よりエステの先生のほうがそりゃあいいなあと思ったりしたのを覚えている。エッセイ教室ではとくに面白いこともなかったが、エステの先生だったら何かイイコトがあったかもしれない。

 なぜ、サックスかというと、実は昔からモダンジャズが好きで、いまでも好んで聴く音楽といえばモダンジャズばかり。で、いつかはサックスやピアノを自分でも演奏してみたいなと考えていたのだった。
 もう、何年前になるだろう。アート・ブレーキー&ジャズ・メッセンジャーズが初来日し、それをきっかけにして日本にファンキーブムがわき起こった。私もこの初公演を聴きに行って、いっぺんにモダンジャズの虜になってしまったのだが、いま調べてみたら、1961年の正月とあった。そうか、18歳のときだったんだ。
 『モーニン』や、『ブルースマーチ』、『チュニジアの夜』などをナマで聴いて衝撃を受けた。
 当時は、ポール・アンカの、『ダイアナ』や、『君はわが運命』、ケーシー・リンデンの、『悲しき16歳』などが流れる、ラジオの、「ユア・ヒットパレード」にかじりついていたのだけど、ジャズにもハマっていて、渋谷、新宿、有楽町などのジャズ喫茶にひとり通い詰め、一杯の珈琲をなめながら頭を揺らし、足でリズムを刻んだりしていた。その頃は、そういうのがチョイ悪ふうでかっこよかったのだ。
 セロニアス・モンクや、ソニー・ロリンズ、MJQなどずいぶん公演も見に行ったが、いちばん気に入ったのは、キャノンボール・アダレイ・クインテットだった。
 豪快で明るく、単純で明快な迫力は圧倒的で、モンクやロリンズや、コルトレーンの小難しさとは一線を画していた。『ワークソング』や、『ディスヒア』、それに、『マーシー、マーシー、マーシー』。これにはどうにもマイってしまって、それ以来、「いつかはアルトサックス」になってしまったのだった。

 夢は持っていた方がいいもので、その「いつかは」が、今頃になってようやくめぐって来た。老いらくの恋は相手がその気になってくれなければうまくいかないけれど、サックスは逃げて行くことがないので、いつでも触ったり抱いたりしていられる。しばらくは蜜月のときが過ごせそうで毎日が楽しい。そして、もう少し上達すれば再び、「いつかは」が頭をもたげてくるような予感がする。いつかは、誰かの前で…。
 何年先になるかは分からないが、そのときには大好きな、『サマータイム』や、『テイク・ファイブ』をバーンとやってうならせちゃおう。と決めているので早くこれを覚えたいのだけど、まだ、その曲は練習させてもらえない。十年早いらしい。