essay
  平成17年8月5日 21
海を見ながら
思えば遠くへ来たもんだ
1942年 東京生まれ
 安西水丸の、『魚心なくとも水心』という本を読んでいたら、こんなことが書いてあった。
「人間は、どのように生きるかよりも、これだけはしたくないというものを持って生きる方が恰好いいですね。やせ我慢、やせ我慢」
 うん、そうだよ、その通り。いいこと言うじゃん、男はそうでなくっちゃ。と思って、前から安西水丸の本はよく読んでいたけど、妙にうなずいてしまった。
 このね、「これだけはしたくない」「これだけは我慢できない」という気概、気骨は、いつだって持っていたいよね。それがなくなっちゃあオシマイよって思う。それをなくしちゃあ、いざというときケツをまくれない、潔く生きられないからね。

 この本は町の図書館から借りてきたんだけど、一緒に借りてきたのが、嵐山光三郎の、『不良中年は色っぽい』で、これがまた、めちゃくちゃ面白かった。前に、『不良中年は楽しい』という本を読んで面白かったのでまた借りてきたんだけど、ほとんど笑いっぱなしで読んだ。このオヤジもまた、言いたいことを言う。いいね。

 で、ハタと気づいたんだけど、安西水丸も嵐山光三郎もどちらも、1942年の東京生まれなんだよね。つまり、私と同じ。同じ時代をほぼ同じ風の中で生きてきた。だから、なんとなく気持ちが通じるというか、考え方に似たようなところがあるのかもしれないのかなあと思ったりして。
 そこで、ちょっと調べてみたら、いましたね、ほかにも。1942年東京生まれが。
 山下洋輔、日野皓正、松本幸四郎、三枝成彰。
 単純に、山下洋輔と日野皓正が同じなのがうれしいね。ジャズ屋だからね。
 ちなみに、東京生まれかどうかは不明だけど、1942年生まれにはつぎのような人たちがいる。
 篠原勝之、加納典明、青木功、中部銀次郎、角川春樹、カルーセル麻紀、小泉純一郎。
 外国人では、モハメド・アリ、金正日。
 ふーん、同じなんだと思う人もいれば、なかにはこいつと一緒かよ、マイッタなと思う人物もいる。同じだからってどうだということもないけれど、でも、小泉純一郎とか、金正日とか、嫌なのが混じってるね。こりゃ、一緒になりたかないや。
 
 しかし、考えてみれば、小学校から高校まで、(大学は浪人したやつもいるから違うけど)同級だったやつはほとんど同年生まれで、じゃあみんな似てるかと言えばそんなことはない。いろんなやつがいて、同じ午年だからと言ったって、性格もやってることもさまざまだ。
 たとえば、高校の同窓生(都立世田谷工業高校・電気通信科卒)7名ばかりでグループをつくりいまでも付き合いが続いているが、たいしたやつはいない。ま、大体が元サラリーマンでいまでは定年になって会社を追い出され、ぶらぶらしている。釣りをやったり、山へ行ったり、日曜大工に目覚めたり、蕎麦打ちにのめり込んだり、あるいは孫にべったりとか。まあ、それはそれでいいんだけど、高校が高校だから出世したやつは誰もいない。
 そこへいくと、駒場高校なんてところを出た人はちょっと違う。友だちのひとりにそこを出た(そして東大に入った)のがいるんだけど、その彼にいつか同窓生の名前を聞いて驚いた。有名人がずらりと並んでる。やっぱり違うんだってことがよく分かった。まあ、有名になればエライかと言えばまた異論はあるんだけどさ。
 
 で、何を言おうとしたんだっけな、分かんなくなっちゃった。いつもほとんど酒気帯び、いや酩酊状態でパソコンにむかっているからね。
 きょうも暑くてさ、長崎でも35度を越えたってテレビで言ってた。暑くて畑なんかやってられないから、午後から2時間ばかし下の海へサザエを採りに行ったんだけど、うちの海女さんが75個も採ったのに、ひげの漁師はたった30個しか採れないの。42年生まれの63歳。不良品老年は、ぜんぜん色っぽくないね。