essay
  平成17年10月16日 22
海を見ながら
思えば遠くへ来たもんだ
47年ぶりのキャッチボール
 窓を開け放して寝ていたら、明け方、涼しくなって目を覚ました。
 庭から金木犀の香りが流れ込んできた。
 「ああ、秋になったな…」とつぶやいて横を見たら、妻が大の字になっていびきをかいていた。掛け布団を思い切りはだけ、パジャマを着ているからいいようなものの、緊張感のかけらもなくだらしなく。きのうもずいぶん働いてたから疲れたのだろうが、それにしても大胆な恰好だ。昔はもちっと可愛い寝姿だったように思うけど。

 古い友だちが訪ねてくるというので、干していた稲をあわてて脱穀し、もみすりもした。脱穀にはまだ少し早かったのだが、どうせならとりたてのおいしい新米を食べさせたかった。田舎のご馳走といえばそれくらいだから。ついでに柿や栗も収穫した。

 友だちのWは高校時代の同窓生で、卒業してからもずっとつきあいを続けてきた。連れの夫人とは彼らの結婚式以来の再会。昔は、相当な美人であったろうと思わせる容貌だが(つまりいまもそれなりに美人であるということね)、まったく見覚えがない。聞けば結婚して34年になるという。34年前に一度会っただけでは覚えてないのが当たり前か。歳月は遠慮を知らない。吉永小百合だって、いまではキューポラの頃とは大分違うもんね。
 Wとのつきあいは、数えたら47年前からということになる。クラスには男ばかり40名ほどいたが、そのうちの7名でいまもつきあいを続けている。いくら高校が同じだったとはいえ、それからの生き方はまったく別。47年間もよく仲良くしてこられたもんだと不思議に思う。

 古い友だちと飲めば、当然、昔話に花が咲く。
 「金子は、雨の日でも傘差して自転車で、学校まで1時間の距離を通って来てたな」
 「お前の結婚式では、天井まであるようなケーキが披露宴の最中にドドッと倒れてな」
 「イシワタは、産婦人科の医者みたいに女のカラダに詳しくてよ」
 「おれもあいつからいろいろ教わった」
 数年前、同窓会をやって40年ぶりくらいで大勢集まったが(私は欠席)、顔を見ても誰だか分からない者が何人もいたという。古いアルバムを引っ張り出してきてみたら、私は坊主頭で裕次郎を気取っていた。Wとは伊豆や大菩薩峠や丹後半島などを一緒に旅行した。渋谷でもよく遊び、ポン引きにだまされたりもした。
 「そうそう、喫茶店で女に会って先に金払ってさ、ちょっとトイレに行ってくるって言うから待ってたらそのまま戻ってこねえの、トンズラ」「あれにはまいったな。ハハハ」
 
 いまでは仲間のほとんどは定年で会社を辞め、Wは伊豆に移って田舎暮らし。伊豆ではまだ友だちもなく戸惑うこともあって、その道の「先輩」を観光がてら訪ねてきたのだった。大工仕事が趣味で、チェーンソーの使い方や刃物の研ぎ方などを知りたいと言うので教えてやった。2泊3日のファームステイで昼は実技実習やタコ釣り、夜は飲みながらの講義講習と、何度も繰り返して手あかの付いた昔話。手土産にワイルドターキーのシングルバレルと静岡名産のわさび漬けを下げてきたから、虫のすだく音を蹴飛ばしながら、尾戸の秋の夜は賑やかに更けて行くのであった。
 
 Wが帰ってすぐ、こんどは中学時代の友だちYに会った。
 Yと会うのはそれこそ中学以来で、中学卒業が昭和33年だから、47年ぶりということになる。昨年だったか、「テレビでいま見てさ、テレビ局に電話番号を教えてもらって」と、突然、電話をしてきたのだった。Yとは3年間一緒に野球をやった。野球の強い学校で、だから練習も厳しくて、1年の時100名ぐらい入部して、2年になって残ったのはたったの4名だった。その4名の中にYと私がいた。ちなみに、その中のもうひとりにプロ・ゴルファーの榎本七郎がいた。同じくプロ・ゴルファーの小川清二も同級生だが、彼は野球部ではなかった。
 Yはまだ野球を続けていて、「久留米市で全国還暦軟式野球大会というのがあって、それにこんど千葉県代表で行くのでそのときにぜひ会いたい」と連絡してきた。団体行動なので長崎までは来れないというので、こっちから車を飛ばして球場まで会いに行った。久留米市内で手間取って3時間半もかかってしまい、到着したらもう、試合が始まっていた。
 1回の裏で千葉は守備についていた。Yを探してピッチャーからキャッチャー、一塁、二塁と順番にライトまで見回したがどれがYかまるで分からない。ベンチの近くに出場していない千葉の選手がいたので、金網越しにどれがYか尋ねると、一塁手だと教えてくれた。その一塁手は腹が出たおっさんでとてもYとは思えなかったが、チェンジになって戻ってきたら向こうから手を振った。
 Yは7番打者で、2回表に最初の打席が回ってきた。「Y!、一発行け!」と大声で声援を送ったが、当たりそこねの3塁ゴロに倒れた。振りはよかったが、1塁まではやっとたどり着くという走りで、ぜいぜい息を弾ませながらベンチへ戻ってきた。2打席目は三遊間を抜く痛烈なヒット。「ナイスバッティン!」と声を掛けると、塁上でハアハア言いながら手を振った。3打席目は外角を泳がされてピッチャーゴロ。Yを見ていて面白いなと思ったのは、バッティングの構え、打ち方、守備の構え、投げ方、大きな声は昔のまま。しかし、顔、体型はさることながら走力、体力、馬力がまったくの別人になってしまっていた。結局、試合は7対0で完封負け。
 「勝てば明日もあったんだけど…」と千葉チームはがっくり。それでも、思い切り走り回って、還暦過ぎのおじさんたちはみな満足感いっぱいの表情。それは見ていてとてもうらやましくて、私も腕が鳴ったが、長崎にはチームがないとのことだった。
  
前夜、私はグローブを引っ張り出し、丁寧にワセリンを塗り込み、それを持って行った。
 試合後、私はYに言って、キャッチボールをした。
 「おっ、かずちゃん、いいボール投げるねえ」
 「んなこたねえけど、お前も、投げ方ちっとも変わんねえな」
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 さわやかな秋空の下での、47年ぶりのキャッチボール。