essay
  平成18年8月18日 28
海を見ながら
思えば遠くへ来たもんだ
子どもの頃の音。
 ハヤカワミステリの、『あなたに不利な証拠として』(ローリー・リン・ドラモンド)を読んでたら、「君の子どもの頃の音って何だい?」という一節が出てきて、オッと思って本を放り出してしまった。本を読んでいると、ときどきこういうことが起きる。自分が聞かれたわけでもないのに、ついそういう気分になってしまうのだ。
 
 私の子どもの頃の音といえば、中学時代、野球のバットでボールを叩いたときの音だ。
「カーン!」という乾いた音。その頃のバットはもちろん木製。
 真夏の炎天下のグランド。汗と泥にまみれた顔や手。真っ黒に汚れたユニフォーム。
「あと30!」「よし来い!」「カーン!」
「捕れなかったからあと31!」「よし来い!」「カーン!」
 いつまでも続くノック。カラカラに乾いたノド。目に入る汗。ふらつく足。
 当時は、ノドが渇いても水を飲むことは許されなかった。
 つばはネトネトで真っ白になるが、やがてそれも出なくなる。
 動きが鈍くなれば、「たるんでんじゃない!」と怒鳴られた。
 そうやって夏の間中、ノックは続いた。
 春も秋も冬も、それこそ元日以外は一日も休むことなく野球詰めだったのに、いま思えば、夏のグランドだけがよみがえる。夏がいちばん厳しかったからだろうか。
「カーン!」「カーン!」
 いまでも、入道雲を見ると、ボールのはじける音が聞こえてくる。いや、実際はもちろん聞こえはしないのだけど、そんな気がするのだ。
 
 私は遊撃手だったからゴロのノックばかり受けていたが、そう言えばある日、フライの練習をしていて、ボールを追ってライトまで走り、狭いグランドを飛び出し真っ逆さまに頭から深い溝に飛び込んで額をパックリ割る大怪我を負ったことがあった。その時の傷はまだ消えずに残っている。
 もちろん打撃の練習もしたのだが、時間にすれば打つより守る時間の方が圧倒的に長かったように思う。打撃の練習も、あの頃は大振りをすると怒鳴られ、とにかくバットを短く持って(グリップエンドをこぶし一つ分余して握り)球に食らいつけと教えられた。そういう指導方針だった。だから試合でもみんなヒットはよく打ったが、ホームランなどは滅多に出なかった。

 いま、連日テレビで甲子園を見ているが、なんでみんなこんなにホームランが打てるのだろうと驚いている。ホームランを打てる選手が4人も5人もいるチームもあると聞くと、もう本当にたまげてしまう。バットを短く握っている選手などほとんど見かけない。小柄の選手でもブンブン丸だ。そのホームランも、フェンスぎりぎりなどではなく、ライナーで打ち込んだり、スタンドの中断まで軽々と持って行ったりしている。筋力トレなどもやっていると聞くが、スイングが鋭く早いのには目を見張るばかりである。
 しかし、その反面、下手だなあと思うこともある。守備のエラーがやたら目に付くのだ。あまりのエラーの多さに、守備の練習をしてないんじゃないかと疑いたくなってくる。もちろん高校野球らしく超ファインプレーも随所に見られはするのだけど、見ているとぽろぽろとボールをこぼしている。
 たぶん、これは想像だけど、いまの高校生たちは、打撃練習には夢中に取り組むが、守備の練習はあまりしたがらないんじゃないだろうか。指導者もそういう一面が見えていて、それを許している。守備の練習は地味で暗いし、だいいち面白くない。その逆で、打つほうは何と言ったって面白い。華がある。ひとつエラーしたって、長打を1本打てば取り戻せる。だから守備より打撃。そういう意識が監督にも選手にもあるように感じられるのである。
 
 負けたなと思っていたチームが9回表に大逆転し、へえ、すごいなと驚いていたら、なんとその裏にもっと派手な逆転劇、なんていうゲームがいくつもあった。そこでもホームランが目立って、高校野球はほんとに下駄を履くまで分からないなと最初のうちは面白がって見ていたのだけど、あまりにそういう大味な試合が多くて、その大逆転劇のウラでは守りのミスがいくつも目に付いて、しまいにはどっちらけになってしまった。
 エラーをしても笑っている選手、それを満面の笑顔で応えている監督。そういう指導がよしとされる風潮。明るい生活。楽しむ野球。打ちました、打ちました、ホームラ〜ン!!
 
「キーン! キーン!」
 きょうも、金属バットの音がする。