essay
  平成20年12月1日 35
海を見ながら
思えば遠くへ来たもんだ
マッターホルン。
 ツェルマットの町はずれにあるキャンプ場にテントを張り、私とSは一息ついた。Sは高校山岳部時代の仲間で、私の計画を知り一緒に行かせてくれと名乗り出て、同じく勤め先を辞めて遠征に加わったのだった。
 夕方、町へ食料の買い出しに出ての帰り道、何気なく振り向くと、雲の切れ目からいきなりマッターホルンが顔を見せ始めていた。私とSは「おお!」と声を上げ、その場に立ちすくんでしまった。山頂は圧倒的な高さで町の上にそそり立ち、見上げていると首が痛くなるほどだった。
 8月7日、40kgのキスリングを担ぎ、シュバルツゼーまで登り、池の脇にテントを張った。
 8日、足慣らしのためブライトホルンを目指したが、行けども行けどもたどり着けず途中で敗退した。まわりの景色が大きすぎて距離感がつかめないのだ。
 9日、10日は悪天候で停滞。
 11日、午後から天候の回復が見えたのでヘルンリ小屋へ向かう。小屋に宿泊。
 12日、いよいよ、マッターホルンの頂上へ。
 午前1時30分起床。高度障害のためか頭痛が激しく一睡も出来なかったが、ようやく迎えたチャンスなので出発。小屋を出ると満天の星。尾根にはすでに懐中電灯の明かりが見えている。途中でザイルを結び合い岩場にとりつく。赤いヘルメットを被ったイギリス人のパーティと前後しながらソルベイ小屋に到着。休まずさらに急峻なリッジを登り、肩の辺りで食事をとり、フィックスザイルの地点を越えると雪壁に。アイゼンをつけてないのでキックステップで登る。そして10時30分、ついにマッターホルンの山頂に立った。
 「やったぞ!」と心の中で叫び、Sと握手を交わす。しかし、雪が舞っているのでゆっくりしてはいられない。オーストリアのパーティと一緒に記念撮影をしすぐ下山。ソルベイ小屋で食事をとり、一気にベースキャンプまで下った。
 13日、休養。青い空にそそり立つマッターホルンを仰ぎながら満足感に浸る。
 本当に、夢にまで見たマッターホルン(4477m)。素晴らしい登攀だった。双眼鏡で、きのう登ったルートを眺めたり、友だちに絵はがきを書いたりして過ごす。興奮冷めやらない体に、ひんやりした風が気持ちいい。
 14日、モンテローザ(4527m)に登るためツェルマットへ下り、ゴルナーグラードからゴルナー氷河を渡ってモンテローザ小屋へ。
 15日、午前3時起床。雨の中を4時に出発したのだが、山頂直下で雨が激しくなったので撤退し、モンテローザ小屋の上部でビヴァーク。
 16日、寒くて寝ていられず、午前1時に出発。再び登りだしついに山頂へ。そのまま来たルートを引き返しベースキャンプへ戻る。
 17日、休養日。洗濯。
 朝食はおかゆ、梅干し、じゃがいもとピーマンとソーセージのバター炒め、緑茶。
 昼食はパン、バター、チーズ、レモンティー。
 夕食はビールとカレーライス。
 18日、テントを撤収。次の目標、モンブランの基地、シャモニー(フランス)へ向かう。
 
 このあと、21日〜22日、モンブラン(4807m)〜エギーユ・ド・ミディ(3842m)縦走、26日〜28日、エギーユ・ド・ベルト(4122m)、9月1日、グレポン(3482m)、19日、ピッツ・モルテラッチ(3751m)などの登頂を果たし、イタリアのコルチナに向かいドライ・チンネを眺め、山の道具を日本へ送り返し、パリからマルセーユ、コート・ダ・ジュール、そしてイタリア、ドイツ、オーストリアと歩き回り、往路と同じルートをたどって10月30日、船で横浜に戻るのだが、長くなるので割愛。
 
 このアルプス遠征とヨーロッパ放浪の旅は、私にさまざまなことを教えてくれた。それはいろいろな形で精神的な基盤となって、いい方向へ絡み合っていく。
 強く思って努力を続けていけば必ず思いは叶うということ、何に対しても誰に対してもひるむことはない、あるいは、大抵のことはやればできる、やりたいことはやったほうがいい、などということを学んだのもそのひとつ。また、大きな余録はマッターホルンのベースキャンプから送った絵はがきがきっかけとなって交際が始まり、いまの妻と結婚に至ったこと。さらに、この旅行記を入社試験の作文に書きそれが評価されて就職が決まったことなど。思わぬおまけがついたのだった。そしてもうひとつの決定打は、旅先で多くの人々の明るさに触れ「人生、楽しく生きること」、これだな! と実感したことだった。この時、若干25歳。
 そしていま、66歳。あれから41年。
 人生、楽しんで生きてきたかい?