essay
  平成16年3月22日 
海を見ながら
思えば遠くへ来たもんだ
時の過ぎゆくままに
 桜が咲いた。
 ちょっと早すぎるけれど、桜には桜の都合があるのだろう。おかしなことばかりはやる世の中だから、早く咲いて早く散っちゃおうよと、桜も少しやけになってるのかもしれない。
 長崎へ来て10回目の桜。もう、10年だ。10年ひと昔、これまた早すぎる。もう、どう見ても風体はすっかり田舎のじじいになった。でも、田舎者にはなったけれど、ちょっとだけまだ抗ってもいる。
 きょうは月曜日なので、午前中はサックスのレッスンに行き、昼からは新しい鶏小屋づくりの続きをした。夕方はいつものように当番の風呂焚きと愛犬ユメの散歩。風呂から上がり、ビールと焼酎を飲んで、いまパソコンに向かっている。
 NHKのテレビでサックスの音が出せないところが放映されたら、何人もの友だちから励ましのメールをもらった。内緒にしてたから。
 あれは演技でね。いまは、『As Time Goes By』を吹いている。『時の過ぎゆくままに』。
 そう、映画、『カサブランカ』でハンフリー・ボガートとイングリット・バーグマンが語り合うあのシーン。
 「ところで10年前、君は何をしてた」
 「10年前? 歯にブリッジをしていたわ。あなたは?」
 「職を探してた」

 10年前のちょうど今頃、永年勤めた会社を辞め、ひとりで東京から長崎へ車を走らせていた。何かを捨てなければ、何かが始まらなかった。私は、小さな夢を実現させるため、生まれ育った東京の街と、金がモノをいう生活を捨てた。東京はもう、人が人らしく住めるところではないような気がしたし、金がなければ何も出来ない暮らしにはやりきれなさを感じていたのだった。
 中央自動車道、名神高速、中国自動車道を通って、姫路城の桜を眺め、瀬戸大橋や倉敷の大原美術館を見学し、宮島に泊まって、下関でウニ飯をほおばった。霧に覆われた関門海峡を渡るときは、これで本当に本州とお別れかと思ったら、さすがに少しジンときた。「とうとう、来てしまった」と思い、熱いものがこみ上げてきた。カーラジオからは、山口百恵の、『いい日旅立ち』が流れていた。4月は別れの季節。数日前、マラソンの仲間がみんなで送別会のときにこの歌を唄ってくれた。そのときも私は涙を流した。
 ♪ああ 日本のどこかに 私を待っている人がいる…

 九州に入ると霧は晴れ、青空が広がっていた。山が消え、視界が開けてきた。チャンネルを換えると、イーグルスが流れてきた。
 ♪ホテル・カリフォルニア… 
 ♪テイク・イット・イージー、テイク・イット・イージー…
 うん、これのほうがいい。これでなくっちゃ。

 道中、ずっと桜が咲いていた。武雄で温泉に入って、翌朝、琴海町に入ったら、尾戸でも桜が満開だった。地域の人たちが総出で迎えてくれた。知らない顔が笑っていた。長年住んだ千葉のマンションを出る時、見送ってくれたのは隣のおばさんひとりだった。

 あれから10年。移って来て間もない頃に植えた庭の桜がもう、丸太小屋の屋根より高く伸びて、去年もその桜の下で花見をした。ことしもするつもり。ござを敷き、妻の手料理で酒を飲もう。郵便屋が来たら、「寄っていきなよ」と声をかけよう。
 「ダイジョウブだよ、局長には黙ってるからさ」。
 
 昔、まだ幼稚園に通っていた二男が、妻に言われて食べたサクランボの種を庭に埋めた。やがて芽が出て大きくなり、花を咲かせた。その桜の下で毎年、花見をした。マラソンの仲間が集まった。実ったサクランボで妻が果実酒をつくった。二男が二十歳になった春、その果実酒で乾杯した。思い出の詰まった桜だったが、大きくなりすぎたので持ってくるわけにもいかず、そのまま残してきた。1年後、見送ってくれた隣のおばさんに、ことしもあの桜は咲きましたかと電話したら、「新しく越してきた人がすぐ切ってしまいましたよ」と教えてくれた。