essay
  平成16年4月26日 7
海を見ながら
思えば遠くへ来たもんだ
バカの泥壁
 昔の思い出話を語り出したらおしまいだ、という人がいる。
 だとしたら、ここで昔の話をしている私は、オシマイということになる。そうか、オシマイなのか。そうだよな。じゃ、遺言でも書こうか。
 と思って、先週、作家の佐橋慶女さんが家に来たとき、遺言の書き方を教えてもらった。得度して浄土宗少僧都でもある佐橋さんは、すでに遺言を書いていると前に聞いていた。何を書いてもいいのだという。私の場合、財産などないのだから、まあ書くと言っても、「オレガ死ンデモ友ダチニハ黙ッテロ。葬式モ出スナ。遠クカラワザワザ来テモラウノハ悪イカラダ。灰ハ大村湾ニマイテクレ。皆サンオ世話ニナリマシタ。アリガトウ。サヨナラ」くらいのものか。そうだ、「骨ノ一部ハ、マッターホルンノ麓ニ埋メテクレ」くらい書いてやろうか。
 なんてことを考えながら、今朝は4`走ってきた。

 4`でもうっすらと汗をかいて気持ちがいい。もう少し走るつもりだったのだが、2`ほど行ったら膝が痛み出したので、無理をせず引き返してきたのだった。
 朝日が、走る姿を道路に映していた。足が上がらずペタペタと走る姿は格好が悪い。
 昔、千葉で仲間と走っていたとき、時々見かけるひとりの男がいた。その男も走っているのだが、走り方も体型も、およそランナーというにはほど遠いものに見えた。ところが、仲間から、「あの人は琵琶湖を走ったんだよ」と聞かされ、びっくりした。トライアスロンをする者にとって、琵琶湖を走るというのは、憧れのあこがれ、夢のようなもの。選ばれた者しか出られない、誰でも一度は出てみたいと願う、国内最高峰のアイアンマン・レースなのだ。
 それをあの人が走った。衝撃だった。信じられない思いがした。その人は、ペタペタ、ペタペタ、ゆっくり、ゆっくり走っていた。道路に映る自分の哀れな影を見て、その人を思い出していた。
 琵琶湖は2回、完走した。2回とも、陽が落ちてからのゴールだった。

 海を眺めながら、庭でストレッチをする。ツツジが咲いている。山の新緑がきれいだ。緑色にはいろんな緑色があることが分かる。浅い緑、深い緑、明るい緑、濃い緑。
 ホームグランドだった千葉の海浜公園にも、ツツジがいっぱい咲いていた。毎週末、朝練を終えた後、いつもそのツツジの前で仲間と団らんした。裸になって汗を拭き、着替えながら缶ビールを空けた。つぎのレースのことを話し合った。みんな、まだ走っているのだろうか。いや、仲間からのことしの年賀状には、「あの頃がなつかしい」と書いてあった。ひとは誰でも年を取っていく。
 「膝はどうだったの」と妻が聞くから、「痛い」と応える。
 「走るからよ。歩けばいいじゃない」。
 バカね、という顔で見る。ほんと分かっちゃいないんだから、という顔をする。
 自分のことしか見えないのをバカの壁というらしいが、自分のことも見えないのは、なんて言うんだろう。バカの泥壁か。
 テレビが、宮古島トライアスロンのニュースを報じていた。宮古島も忘れられない。
 思い出はたくさんあったほうがいい。呆けていろんなことを忘れても、楽しかった思い出はたぶん、忘れないのではないだろうか。
 宮古島のレースのあと、イーダちゃんとバーボンを飲んだ。横にいた精神科医のマキちゃんが、「トライアスロンをやろうとする人間は、それだけでフツーじゃないんです」と言った。けだし名言だと唸った。だって、実際みんなバカばっかしだから。それに精神科医のマキちゃんからしてちょっとアブナイ感じだし。
 「金子さん、東京へ帰ったら一度、遊びに来てくださいよ」と誘われた。「いや、遠慮しとくよ。だって医院に入るところを知ってる人に見られたらヤバイもん」と断った。走る仲間って、どうしてみんないいやつばっかしなんだろう。おーい、みんな、利口にはなるなよ。バカのままでいようぜ。

 朝日を真っ向に浴びてツツジがまぶしい。きょうも暑くなりそう。
 そうだ、泳ぐか。