essay
  平成16年6月10日 9
海を見ながら
思えば遠くへ来たもんだ
ゴールの向こうに
 6時前に起きて自転車を走らせてきた。
 走らせたといっても、たった20kmほどで切り上げてしまったのだから、なんのトレーニングにもなってないが、それでもうっすらと汗はかいた。(ま、やらないよりはましか…)などといらぬ言い訳までして、この頃は、だいたいこんな感じで、すっかり軟弱になってしまっている。
 
 梅雨に入ったというのに真夏のような陽気が続き、つゆほども梅雨を感じさせないが、庭の紫陽花は見事に花を付けた。
 都会で生活していたときは気づきもしなかったが、紫陽花はなんとも不思議な花で、その時々、その土地土地で色も姿も変わるんですね。調べたら花言葉が、「移り気」だというから、なるほどと納得したが、隣町の友だちの家の紫陽花の、「青」がなんともいい色をしていたのでもらってきて庭に挿し木をしたら、まるで違う、「赤」になって咲いたので驚いた。
 それだけでなく、朝きれいに咲いていた紫陽花が、日中に太陽を浴びるとぐしゃっとしおれてそのまま死んでしまうかと思っていると、夕方涼しくなると再び、生気を回復する。夕方になると元気になるところは、まるでサラリーマン時代の自分を思い出すが、昔は、朝トレをやってから出勤し、帰ってからまた泳いだり走ったりしていた。それでも足りず、仕事中に会社を抜け出し、都内のあちこちのスイミングプールで隠れスイムをしていた(もう、時効だ)。
 
 シャワーをあびて朝食をとっていると、テレビが台風情報を知らせていた。台風4号が徳之島を通過中だという。徳之島と言えば、初めてトライアスロンのレースに出たのが、徳之島の大会だった。確か6月のちょうど今頃だった。
 スイムが1、5km、バイクが68km、ランが20、5kmだったと思う。暑い日だった。
 スイムでは激しいバトルに巻き込まれて海水をしこたま飲んだ。おぼえたてのクロールは途中で苦しくなって平泳ぎに変えた。バイクは快調だったが、ランの後半はバテバテに疲れ、自分では一生懸命走っているつもりなのに、沿道を歩いている小学生の女の子たちに抜かれて行く有様だった。それでもなんとか最後まで走りきってグランドにたどり着いたとき、「千葉の金子さん、がんばってください!」とアナウンスが聞こえてきて、「おっ」と我に返った。
 ゴールしたら、そこで力が尽きた。もうそれ以上、それこそ一歩も歩くことも出来ないのでその場にしゃがみ込もうとしたら、膝が曲がらない。腰も曲がらない。歩くこともしゃがむことも出来ずその場に立ちつくす。助けを呼ぼうとして手を上げたら、こんどはその手がつって動かなくなってしまった。仕方なく、丸太が倒れるように、いやそうじゃない、フセイン像が倒れるように、ドテンとぶっ倒れたのだった。
 それでも完走できたことがうれしくて、笑っていた。
 妻が心配そうな顔をして駆け寄ってきた。
 
 1年前まで25bが泳げなかったのに…。トライアスロンが、完走できた…。
 ココロのなかで、何かがはじけた。
 トライアスロン初レースのゴールが、新しい人生レースのスタートになるような予感がした。強く思い続けていれば、夢は叶えられる。難しいと思っていることでも、やればできるんだ。

 翌年は、妻と二人で出場した。ちょうど台風が接近していて、スタート直前まで開催が危ぶまれての決行となった。スイムを上がってバイクのトランジットに行くと妻がいた。「あれ、早いじゃない」と声をかけると、妻は目を腫らしていた。大波にもまれて危うくおぼれかけたのだと言う。出場者約400名のうち約100名がリタイアするという大荒れの大会となった。が、私は、前年のタイムを大幅に更新し、こんどは余裕でフィニッシュできた。
 海に囲まれた自然と、そこで暮らす人たちの優しい顔に触れて、こういう豊かな自然のなかで、自然の暮らしがしたいと強く思った。みんなしているじゃないか。そうだよ、どうせ一度きりの人生、好きに生きたほうがいい。同じ後悔するなら、やらないで後悔するよりやって後悔したほうがいい。好きな場所でやりたいことをしよう。うん、田舎で土と暮らそう。海と暮らそう。悩んでいたセカンド・ステージの方向が、おぼろげながら見えてきたような気がした。
 そしていま、そのような暮らしをしている。なんとなくできている。後悔もまだしていない。思い切ってよかったのかもしれないなとも思う。でも、自分の性格は紫陽花のように、「移り気」だから、この先どうなるかは分からない。
 
 徳之島で知り合った何人かのトライアスリート仲間とはいまだに親しいつきあいが続いているが、その中のひとり、埼玉のヤマちゃんも、安定した環境を飛び出して、もう一つの生き方にチャレンジを続けている。毎年、我が家へ遊びに来ては、10日間ほど滞在していく。ことしも、「7月21日のチケットが取れた」と連絡が入った。