どこからでも見られてる

Q1:田舎の近所づきあいは大変だって聞きましたが、実際そうなんですか。 A1:いきなり、そうきましたか。
 こりゃもうあなた、大変なんてもんじゃありませんよ。これだけで一冊の本が書けちゃうくらい大変。 どう大変なのか。いっぱいありすぎて何から話していいか迷っちゃうけど、そうね、じゃあ、インターネットの話から始めましょうか。
 この辺は尾戸(おど)という地域なんだけど、琴海町のなかで最も奥まった過疎の地域でね。まあ、町ではあるんだけど、村みたいなところなの。でも、情報網だけはものすごく発達している。
 尾戸へ越して来てすぐのことなんだけど、「タコなら馬鹿でも釣れる」って近所の人が言うので、母ちゃんと朝早く海へ出たの。ところが、これが釣れない。1匹も。2時間ほど粘ったがダメ。「このタコ!」とわめいて、とうとうあきらめた。
 でね、誰かに見られたらかっこわるいので、すごすごと裏道から逃げ帰ったのよ。
 昼過ぎ、畑にいたら近所の人に声をかけられた。
「今朝は、タコ釣れんかったじゃろう」
(え、なんで知ってるの。行きも帰りもだれにも会わなかったし、釣ってるときだってほかに船はいなかったのに…)。
 夕方、また別の人に言われた。
「今朝は、タコ釣れんかったってねえ」
 夜、別の近所の人がタコを持って飲みに来た。
「ほれ、タコを持ってきたぞ。釣れなかったんだって」
 もう、地域中の人がみんな知ってるの。 
 だからね、おれは、これを、『尾戸インターネット』と呼んでるの。 


Q2:それって、監視されてるってこと。 A2:うーん、監視されてるというと語弊があるけど、まあ、見られてるって感じかな。いつでも、どこからでもしっかり見られてる。
 タコ釣りの件も、後で聞いたら、畑から見てたんだって。「今の時期、あの船で、あの場所で、あの仕草なら、金子がタコ釣りしていて、ぜんぜん釣れてないな」と。
 スゴイでしょ。でもね、いまになってみれば、ぜんぜんスゴクない。おれでも、これくらいのことは分かるようになった。
 うちは、海が見える高台にあるんだけど、逆に言えば、海の上からこっちは丸見えってこと。
「きのう、見慣れん車の来とったようやけど、誰かお客さんの来とったばいね」と、いきなり言われることがある。漁をしながら、海から見ているのよ。車の型で「あれは地元の者じゃないな」とまで読んでね。
 遠くの峠からも、わずかな隙間からうちの車庫が見えるんだけど、「きのうはどこへ行っとったと」と聞かれる。峠から見て車が見えないと「あ、出かけてるな」と分かるわけ。 


Q3:いつでも見られてるって、嫌じゃないですか。 A3:そりゃ、最初はびっくりしたよ。でも、見られてると思えば嫌だけど、見守られてると思えばなんでもないよ。
 そう、こういうことがあった。
 漁師になって刺し網漁をし始めた頃、海上で網がこんがらがってどうにも動きがとれなくなったことがあるんだよね。その時、悪戦苦闘していたら、おれが漁の師匠と呼んでいる佐藤さんが助けに来てくれた。「庭から見ていたら、どうもおかしい」というので来てみたというのよ。だから、見られてるというのではなく、見守られているのだなと
 また、これも越してきて間もない頃のことだけど、キーホルダーを持っていたら「それなんね」と言われた。「家の鍵と車の鍵ですけど」と応えると「そんなもん、いらん」と笑われてね。「玄関にも車にも、鍵なんかかけるやつはこの辺には誰もおらんよ」って。
 いまでは、おれも「田舎の辞書に不用心という言葉はない」などと言って威張っているけどね。地域の人全員が見守ってくれているから、鍵なんていらないのよ。


Q4:見知らぬ人が来ればすぐ分かるってことですか。 A4:そう。この間、東京の友人が遊びに来て驚いてた。とにかくみんながジロジロ見るって。
 畑にいるばあちゃんも、港にいるじいちゃんもみんな、誰か車でも人でも通れば仕事の手を止めて顔を上げる。必ず見る。まあ、だから安全ということになるわけなんだけど。
 そして、誰かと誰かが道で出会えば、その日の出来事を必ずしゃべる。聞いた人は次のところでまたしゃべる。電話も好き。何かあれば、いや、何もなくてもすぐ電話する。だから、インターネット。まあ、狭い地域で話題が少ないからだとおれは分析しているんだけど、そうしたちょっとしたことが話の種になる。
「金子さんのところにきょう誰か来とったばい」「誰じゃろか」「見なれん顔じゃった」。
 江戸っ子のおれは「そんなこと、どうでもいいじゃねーか」と思うんだけど、田舎の人には、どうでもいいじゃ済まないようなんだな。


Q5:わずらわしくないですか。 A5:わずらわしいさ。


Q6:そんなに見られていたら、悪いことできませんね。 A6:立ち小便もできない。もう、みんなに顔を知られてるからね。もっとも、田舎じゃ、みんな立ち小便は平気でしてるからどうってことないけどね。農家のオバサンなんか、よくしてるよ。尻まくって中腰で。何回も見たもん。あんまり見たくはないけどさ。だって、農道でしてるんだよ。軽トラで走って行くから、向こうも「あっ」と思うけど間に合わないんだよね。


Q7:見られるばかりじゃなく、見ることもある。 A7:そう。ある時、うちの庭から双眼鏡で海を見てたら、漁をしていた夫婦連れの母ちゃんのほうが、船の上からいきなり尻をまくって小便をしだした。いや、のぞきの趣味はないけど、何を捕ってるのかと思ってさ、時々双眼鏡で観察するわけよ。知り合いの母ちゃんだからね、これが。まいるよ。


Q8:まわりの人みんなが知り合いっていうのは、どんな感じなんですか。 A8:田舎はどこへ行くにも車だからね。おれは軽トラだけどさ。走っているとほかの車とすれ違うでしょ。遠くからでも車種で誰か分かっちゃうから、プッ、プーて鳴らされる。もう、どこへ行ってもプッ、プー。
 ある時、知人に頼まれて、国道の脇で土木作業のアルバイトをしてたの。電柱の穴掘り。そこへ通りかかるわけよ、みんなが。もう、プッ、プーがうるさくて。みんな車を止めて「なんばしよっと!」って。


Q9:ほんと、見られてるんですね。 A9:見られてる。「スイカは、うまくできたと」といきなり聞かれる。その人、うちのスイカ畑に顔出したことなんてないんだよ。それなのに知ってるの。


Q10:怖いですね。 A10:怖くはないけどさ。田んぼが虫にやられた年があるんだけど、その時も、会う人会う人がみんな、「今年は稲がやられてエライ目にあったねえ」って言うんだよ。みんな、上の方の道からしっかり見てるの。もう、長野県の知事室、すべてガラス張り状態。