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11 野菜 (西洋野菜、中国野菜)
 わが家では、スーパーで野菜を買ったことがない。
 八百屋で野菜を買ったこともない。いや、待てよ。いま気がついたけど、そう言えば、八百屋なんて見たことないな。琴海町には八百屋がない。これは、新しい発見だ。どうして八百屋がないんだろう。ま、どうでもいっか。
 うちでは、キュウリ、トマト、ナス、ニンジン、ダイコン、キャベツ、ネギ、ピーマンなど、普通に見かける野菜は、大抵、自分の畑でつくっている。ただし、これらは、友人に分けることはあっても、まとめて出荷するようなことはない。直売所へ持って行けば売れないことはないのだけれど、直売所の棚には、同じ野菜でもっときれいなものがいっぱい並んでいる。そんな中へ、うちの曲がったキュウリを置いても、手を伸ばす人は少ないからだ。
 昔から専門でつくっている農家の人と同じ物を並べたって、勝負にならない。別に勝負することもないのだけれど、少しは売れる物だってつくりたい。というわけで、近所の農家の人たちがやってない物をつくることにした。これなら、商売敵がいないのだから、売れるに違いない。
 「金子さんは、めずらしか野菜ばかり持ってくるとねえ」
 直売所のおばさんが、笑う。
 ビーツ、コールラビ、アーティチョーク、ズッキーニ、サラダマーシュ、パープルインゲン、ウイングドビーン、ツタンカーメンの豆。
 エンサイ、コウサイタイ、ターサイ、チンゲンサイ、ハナニラ、中国ダイコンetc.
 こういう西洋野菜、中国野菜は、都会では見かけるだろうが、この辺ではまず目にしない。
 困ったのは、直売所のおばさんだ。お客さんに、「これはなんね?」と聞かれても、答えられない。「どうやって食べると?」と尋ねられても、分からないのだ。
 もちろん、そんなこともあろうと、説明を書いて付けているのだけれど、地元のお客さんはみな、読むより先に聞くんだよね。そして、聞いても、「食べたことがないから」と敬遠。触っただけで、元に戻してしまう。
 ところが、直売所には、ドライブがてら立ち寄る人や、長崎市内からわざわざ来る若いお客さんたちもいる。そういう人たちは結構、新しい物や、めずらしい物が好きみたいで、喜ばれている。
 作戦成功である。
 
 長崎市内で、『洋食屋ゴーシュ』を経営する義坊は、ぼくのことを、「兄貴」と呼ぶ。うちへ野菜を買いに来ているうちに、すっかり意気投合。仲良くなった。
 素材にこだわる義坊は、うちの野菜を畑からもいで、大概の物はナマでガブリとかじる。ピーマンでも、ダイコンでも、ミカンでも皮ごと丸かじりして、「うん、これだ!」とうなづく。
 西洋野菜を特に好み、しょっちゅう顔を出す。若い頃、世界中を歩いて修行した料理の腕を、長崎市内の小さな店で振るっている。ぼくと気が合うくらいだから、少し偏屈なところはあるけれど、腕は確かだ。うちの西洋野菜が、見事に変身した料理を、ときどき、ごちになる。
 ぼくのことを、「育ての親」と慕う、大学生の繁は、デンマークに5年いた。その繁も、うちの野菜をナマでかじって「うまい!」と言う。「東京では、こういう野菜は食べられない」のだそうだ。
 
 「私が食べたいからつくるの」。
 妻の口癖だ。ぼくは保守的な男だから、新しい野菜は正直言ってそれほど好きじゃなかった。キュウリを畑からとってきて味噌をつけて食べる。トマトをもいできて塩を振りかけて丸ごとかじる。これがいちばん好き。夏は、夕方、これでビールを飲むのが日課。キュウリはキュウリの香りがし、トマトはトマトの味がする。本物の味と香り。
 でも、この頃は、ビーツの入ったボルシチや、コールラビのサラダがなぜか、イケルんだよね。ならされちゃったのかな。