自給自足
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     24 ナマコ漁、ウニ漁 (冬)
 11月いっぱいで刺し網漁が終わると、ナマコ漁の準備に入る。
 ナマコは大村湾の特産品で、ほかの海で捕れたものよりも、「柔らかくておいしい」と評判。地元の人にとっても、正月には欠かせない食品で、子供でも喜んで食べる。都会の料理屋なんかでは、かわいい器にほんの2,3切れ乗るだけだけど、こちらの人はどんぶりで食べる人が多い。
 ナマコ漁には、2種類の方法があって、ひとつは桁引きと呼ばれるいわゆる底引き漁。もうひとつは、箱眼鏡をのぞいて竿で引っかけて捕る掛け漁。
 琴海町では、12月の中旬、あるいは下旬の数日間、それも午前8時から12時までと時間を区切り、また場所も区切って桁漁を行う。規制をするのは、いわずもがな資源保護のため。
 解禁初日の大村湾は、壮観だ。漁師は全員出動。数百隻の船が、朝8時の時報と同時にいっせいに網を投じ、動き出す。右へ行く者、左へ行く者、岸辺を行く船、沖を行く船、それぞれがそれぞれの感と経験を頼りに、ナマコのいそうな場所を狙う。
 桁(底引きの網)を入れ、しばらく引き、上げてナマコを取り出し、また入れてを繰り返す。
 そして昼の12時に終了。何十`も捕った人、数`しか捕れなかった人、港で秤にかけて出荷する。大漁の漁師の声は大きく弾む。大村湾の師走の風物詩。
  ナマコの掛け漁  底引きの桁漁に対して、1匹ずつ目で見て捕っていくのが掛け漁。
 こちらは、技と経験がいるのでやる人はグッと少なくなる。もちろん、ぼくはやる。いまでは、「かなり捕れるようになった」と自慢しても、誰にも怒られないと思う。でも、最初は当然のこと、ひどかった。
 ナマコ掛け漁のどこが難しいか。
 まず、居場所が分からない。
 つぎに、だいたいの居場所が分かっても、保護色なので見分けがつかない。見つけられない。(師匠に竿で指してもらっても、それでも最初のうちは見えなかった)。
 そして、やっと見つけられても、こんどはそれを捕ることができない。竿の先についた針に引っかけて捕るのだが、竿が長い上、水圧があるので、針先がなかなかナマコまで行き着かないのだ。しかも、風でもあれば最悪。船が流され、あっという間に獲物は遠のいてしまう。
 
 「金子さんは、人のよかねえ」と、なんども師匠に笑われた。「よかナマコはぜんぶ残していってくれるもん」。
 そのココロはこうだ。ぼくは、岩の上にいるナマコが保護色で見えないから、そのままやり過ごす。そのすぐ後ろを師匠が通ると、ナマコがいくらでも残っているから好きなように捕れるというわけ。
 「よかナマコ」というのは、赤ナマコと青ナマコのこと。ナマコにはもうひとつ、黒ナマコがいて、この黒ナマコは見えやすいので誰にでも簡単に捕ることができる。最初のうち、だからぼくが捕るのはいつも黒ナマコばかりなのだった。
 赤も青も黒も、味はまったく同じなのだが、カラスが嫌われるように、黒いということだけで差別を受けて、黒ナマコは値段が極端に安いのだ。
 よい機会だから、大きな声でぼくは言っておきたい。
 「ナマコは赤がうまい」なんて聞いても、本気にしないでほしい。ぼく自身、黒を食べているし、賢い人はみな安い黒を買っている。
    ウニ漁も、ナマコ漁と時期は同じ。12月末から2月末までがシーズン。
 漁の仕方も、ナマコの掛け漁に似ている。箱眼鏡をのぞいて、先にかぎ状のものをつけた竿で引っかけて捕る。
 ただ、ウニは捕ったあと、殻を割って身を取り出し、それをパックに詰めるという面倒な作業があるので、やる人が少ない。漁は昼までだが、作業は夕方までかかる。
 何でも取り立てはうまいけれど、捕ってきたばかりのウニのうまさを味わえるのは、まさに漁師の特権。これは、やめられません。
 ナマコ漁とウニ漁が終了すると、こんどはモズク漁が解禁になる。
 ぼくは、このモズクが採れるようになるまで3年かかった。最初の2年間は、まったく採れなかった。
 モズク漁は、箱眼鏡をのぞきながら、ヘアブラシ状のものを先につけた竿で引っかけて採るのだが、モズクとそっくりな海藻があって、それとの区別がつかないのだ。その区別がつけられるまで3年かかったというわけ。
 「これ、モズクですよね」と、採ってきたモズク(と思ったもの)を見せると、「それはモズクじゃなか」の繰り返しに、本当に、ぼくは何度泣きたくなったかしれない。
 いや、不肖の弟子に、泣きたかったのは師匠の方かもしれないな。