平成17年2月22 Vol 121
よかさ!
好きになるということ
 今シーズンのウニ漁、ナマコ漁が終わった。終わってしまった。
 12月、1月、2月と海がしけてなければ毎日、漁に出て、箱めがねで海の底をのぞいていた。寒くて厳しい日もあったけど、好きだから、少しも苦にはならなかった。鼻水垂らしても、それはそれは楽しうございました。時間が来て上がってくると、肘まであるビニールの手袋をしているのに、腕も脇もびしょびしょになって、ブルッと震えた。それでも、けっこう毎日捕れたから、誇らしくもあった。仕事をしたな、という充実感があった。船から下りて港に上がり、港の隅っこに行って放尿。ここでまたブルッと震えて、でもそれがまた気分よくて、そんな日がずっと続いていたので、漁が終わってしまったら、なんだか妙に気が抜けてしまった。
 しかし、思い返してみれば、ことしもよく捕れた。よく捕れるようになったと思う。最初の頃は、捕れずに地団駄を踏んでばかりいた。慣れないのだから当たり前だけど、でも悔しかったなあ。慣れるってスゴイことだなあと思うね。
 こないだも、ベテランの漁師と話をしていておもしろいと思ったのだけど、ナマコを捕るとき、「そのナマコを捕りながら、目はほかの(つぎに捕る)ナマコに行っている」というワザの話になって、「そうそう」と同調している自分にうれしくなってしまった。それができるようになったということなんだけど、ここまで来れたのは、好きだったからなんだよね。好きこそものの上手なれってことばがあるけれど、好きになるって、いいことなんだよね。

コートにすみれを
 ウニ漁、ナマコ漁が終わって、ぼーっとしている。ぼちぼち堆肥運びなどののら仕事はしているけれど、いまは畑もそんなに忙しくはない。さしあたって、新しい牡蠣の種を吊す準備と、まもなく始まるモズク漁の準備、あとは薪割りなどをしている。少し時間があるので、夜はジャズ・バーでバーボン片手にCDなんぞを聴いている。久しぶりでCDを買った。「女性ジャズ・ヴォーカル101曲」というやつで、ビリー・ホリデイやサラ・ヴォーン、カーメン・マクレエなどが、「コートにすみれを」、「サマー・タイム」、「イエスタデイズ」などを唄っている。いいんだなあ、これが。
 
ニコンDー70
 カメラも買ってしまった。
 この頃、ちょっと金遣いが荒い。といっても、エッセイの賞金やら、講演料をためたものだから、無駄遣いじゃない。金は持っていてもしょうがないから、あるものは使ってしまうのだ。金はなまじ持っていない方が気楽でいいということもある。
 デジカメ一眼のニコンDー70。前から欲しかったのだけど高くて手が出なかった。それが急に値下がりしたので衝動買いしてしまった。しかも、これは知らなかったのだけど、たまたま買った日から1万円キャッシュバック・キャンペーンとかいうのをやっていて、さらに1万円が帰ってきた。超ラッキー!。
 望遠ズームもついている。朝日と海と花を主に撮るつもり。また、忙しくなる。

バレンタイン・チョコ
 去年のバレンタインデーには、チョコを4個もらった。
 内訳は、1、20代(娘) 2、40代(未婚) 3、40代(既婚) 4、50代(既婚)からだった。
 ことしも、4個届いた。
 内訳は、1、20代(嫁) 2、30代(未婚) 3、40代(未婚) 4、40代(既婚)。
 このうち、3と4は、去年と同じひとだが、1と2はちがうひと。同じ4個だけど、内容が違う。
 1、3、4の皆様にはほんとに申し訳ありませんが、2がピカッと光ってます。なにせ、父ちゃん好みの30代、しかも未婚だ。去年の50代既婚とは大違い(ごめんね。でもこのひとパソコンしてないからいいや。こんなこと書いても分からないもんねえ)。
 で、この30代未婚が誰であるかということなんだけど、ちょっとしゃべりたいなあ、しゃべっていいですか。いや、これはですね、やっぱしヒ・ミ・ツということで。君子さんにもどーか内密にということで。ひとつそういうことにしときましょう。フフ…。

尾戸花街道
 花なんか植えんでもよか、あとの管理がやぐらしか(面倒だ)、という意見もあったのだけれど、区長権限で強引に植栽を決行した。
 尾戸の町道沿いと公民館の周りに桜を15本、ツツジを200本植えた。『尾戸花街道』事業と銘打って資金は全額、町からの補助。地域の有志と、子供会にも作業に呼びかけた。ツツジはもう大きなつぼみを持っていて、この春には花を咲かせる。赤とピンクと紫の3色。花が咲けば、地域の人はもちろん、よそから訪ねてくるひともきっと喜ぶはず。子どもだって、大きくなってよそへ出て、帰ってきたときに自分の植えた桜やツツジが大きくなって花を咲かせているのを見たら、古里への思いも新たにするのではないか。そう思ってやってみた。
 春、尾戸はきれいになります。