平成19年8月1日 Vol 159
よかさ!
赤木圭一郎写真集。
 
♪霧の波止場に 帰ってきたが
  待っていたのは 悲しい噂…

 ご存じ、赤木圭一郎の、「霧笛が俺を呼んでいる」と言いたいところだけど、よく考えたら若い人は、その人だれ?と首をかしげるだろうなあ。
 昔ね、石原裕次郎とか小林旭とかいう銀幕のスター(あ、これも分からないよね。人気映画俳優のことだからね)がいてね、日活の第三の男と呼ばれたのが、この赤木圭一郎なのよ。
 アメリカのトニー・カーティスに似てるというので(これも分からないか、やりにくいな)ま、いいや、「トニー」という愛称がついたんだけど、まあ、かっこよかったのよ。で、父ちゃん、この赤木圭一郎が好きでね、まだ高校生だったから、憧れたりしたわけよ。格好なんか真似したりしてね。
 その頃、大体の若者は石原裕次郎か小林旭に入れ込んでいたんだけど、父ちゃんは赤木圭一郎だった。演技はあまりうまいとは言えなかったけど、海の男というイメージで、彫りの深い顔と、ちょっと陰がある渋さがあって、宍戸錠相手に拳銃をバンバンなんてぶっ放してね。そうそう、宍戸錠が「コルトのジョー」で、赤木圭一郎が「抜き打ちの竜」だった。たいていはどこの国の話だか分からない映画なんだけど、そんなのはどうでもよかった。
 それがさ、人気絶頂の時に、あれは確か父ちゃんが高校を卒業するちょっと前だったから昭和36年だったと思うけど、撮影所でゴーカートを運転していて壁にぶつかって死んじゃった。享年21歳だった。そのちょっと前にやはり車の事故でなくなったジェームス・ディーンとイメージが重なって、和製ジェームス・ディーンなどと呼ばれもしたのだった。
 で、なぜここでいきなり赤木圭一郎なのかということなのだけど、悪友のまさが写真集を送ってきてくれたんだよ。父ちゃんが昔ファンだったってことを知っててね。それで、その写真集をめくりながら何十年ぶりかでまたしびれちゃったというわけ。
 ちなみに上の写真だけど、これは赤木圭一郎じゃないよ。「に似てる」と言われたことがある、父ちゃんのハタチの頃の決めポーズだからね。あ、笑ったな。

子どもの一人旅。
 いま、ボブ・グリーンの、『アメリカン・ドリーム』(集英社刊)という本を読んでいる。
 心にひびくコラムがいくつも詰まっているのだけど、その中のひとつにこんな話が載っていた。
 アメリカのU航空に乗った際の話で、機内に付き添いのいない子どもがいて、着陸後、U航空の従業員が機外に導いていった。そこへ一人の女性(どう見ても母親のように思えた)がその子に駆け寄って抱きしめた。従業員がまだ手をつないだままで言った。「すみませんが、何か身分を証明するものをお持ちですか」。その女性が答えた。「でも、私、この子の母親ですよ」。「なるほど。ですが、身分を証明するものを拝見しなくてはなりません」。「この人に、私が誰だか言ってちょうだい」と女性が子どもに言った。「ママよ」。「すみません、身分を証明するものを拝見させてください」。従業員は断固とした声で告げた。
 女性はしぶしぶバッグの中から運転免許証を出して従業員に見せた。従業員は手にしていた書類と免許証を照らし合わせ、その子に向かって聞いた。「この女の人を知ってる?」。「ママよ」。従業員は微笑んで母親に言った。「ご面倒をかけて申し訳ありません。安全を期して念には念を入れているのです」。「まあ、そんな…」。女性は、遅まきながら彼が執拗に確認したがった理由に気が付いて言った。「謝るなんて、とんでもありませんわ。それほど念を入れてくださって、私、とても感謝いたします」。
 それを見ていた著者は、「いい光景だな」と感じた…。

 うん、と父ちゃんも唸った。というのは一昨年の夏、孫(長男の息子)がやはり初めての飛行機一人旅で長崎まで来たとき、父ちゃん(じいちゃん)が飛行場まで迎えに行った。そのとき、あまりにあっさり引き渡してくれたので少し気になったのよ。こっちの名前も聞かないんだもん。現れた坊主の顔を見てよく来たなと言って、「お世話になりました。ありがとうございました」と頭を下げたら、「いいえ、どういたしまして。それじゃ」ですんなり。そのとき、正直、こりゃ親切なのはいいけど、変なことを考えるやつがいたらヤバイんじゃないのと思ったわけ。このご時世だからさ。
 たまたまいまも、娘が子どもを連れて茅ヶ崎から来ていて、「来年は小学校に上がるんだから、ひとりで来られるよね」と言って、ハッと思ったのだった。