NEWS LETTER
Vol.30
 平成13年12月17日発行

ナマコ漁解禁
 大村湾の冬の風物詩、ナマコ漁が解禁になった。
 17日、その朝、港に1年ぶりの活気が戻ってくる。普段、漁をしない者も、この日だけはほかの仕事を休んで船を出す。午前7時半を過ぎると、船は港を出て行く。大きい船、小さい船、すべての船が出揃う様は壮観だ。ある者は北へ、ある者は南へ。自分のそれまでの経験と勘を行かして、ここという場所に陣を取る。そして、午前8時、いっせいに網が投げ入れられる。
 ナマコ漁には、桁(けた)漁と、掛け漁の二つの漁法がある。桁漁というのは、大きな鉄の枠に袋状の網がついたものを船で引いて行く、いわゆる底引き漁のこと。掛け漁というのは、船の上から箱眼鏡をのぞいて、底にいるナマコを竹竿についた針で引っかけて捕る、あるいは、専用のナマコ挟みではさんで捕る漁のこと。
 ほとんどは底引きで、掛け漁は一部の者しかしない。父ちゃんは、両方するが、解禁初日は底引きだ。網にはナマコだけでなく、海藻や石や泥なども入るので、ひとりではなかなか重くて上げきれない。大きい船はモーターで上げるようになっているけれど、小さい船は手で上げるので、大抵は二人で乗り込む。うちも底引きの時は母ちゃんに助手になってもらう。
 最近は、どこの海もそうらしいが、魚でも何でも漁獲高は減る一方。大村湾も例外ではなく、ナマコも年々少なくなっている。ことしも、少なかった。
 12時からの出荷に集まった漁師からは嘆きの声ばかり。
 「昔は一日で何十`と上げたばってんなあ」。
 「これじゃ、正月もこんばい」。
 父ちゃんは、5、1`。これで、いいほう。みんな、3`とか、4`。数匹という漁師も。
 「ことしも、金子さんに負けたばい」。
 「小さか船でこれだけ捕れば、よか!」。「本職が負けたばい」。
 父ちゃん、明日からは、掛け漁にまわる。掛け漁に自信あり。
 大晦日まで、海に出る。
  
ミカン採りは終わらない
 午後からは、ミカン採り。
 このところずっと、ミカン採りをしているのに、採っても採ってもなくならない感じ。きれいなミカンから先に採り、それはだいたい採り終わったのだが、まだきれいじゃないのが半分くらい残っている。きれいじゃないミカンは、ジュース用としてただ同然でしか売れない。それでも、ならせたままでおくと木が弱ってしまうので、採らないわけにはいかないのだ。食べても味は変わらないのに。見た目が不細工なだけで、かわいそうなミカンちゃん。くじけずに、強く生きようね。
ジングルベルは聞こえない
 きのうのテレビのニュースが、クリスマス商戦の賑わいぶりを伝えていた。世の中不景気だというのに、相変わらずのバカ騒ぎ。まあ、どうでもいいけれど、あんまり、商魂に踊らされないほうがいいんじゃないのかなあ。
 クリスマスのプレゼントに2万円、3万円は当たり前なんだってね。スゴイなあ。
 だって、ナマコやミカンで2万円、3万円上げるの大変よ。
 田舎から都会を見ていると、おもしろいことがいっぱいある。
 尾戸は静かでいい。きょうも、ジングルベルは聞こえない。
葬式には行かれない
 中部さんが死んじゃった。
 悲しいよな。
 中部銀次郎。不世出のアマチュア・ゴルファー。59歳。父ちゃんと同い年。
 食道ガンと、新聞に書いてあった。
 東京新橋の『独楽』という店で、何回も一緒に飲んだ。ことしの春にも、上京した折り、顔を合わせた。元気はなかった。本人も病気のことは知っていて、少しやけになっているようでもあった。父ちゃんにはそう見えた。だから、ずっと気になっていた。
 誰からも好かれた。紳士だった。
 ゴルフもご一緒させてもらった。「上達のヒントをひとつだけ教えてください」とねだると、「普段の姿勢をよくすることだね」と応えてくれた。「酒を飲むときも、本を読むときも、背筋を伸ばして」と、付け加えた。父ちゃん、その言葉を金科玉条として守った。いや、守ろうと努めた。
 もうひとつ、「起こったことに対して鋭敏に反応するな」という中部さんの言葉が好きで、その受け売りを知人に語っていた日に、中部さんは逝ってしまった。
 遠くて葬式には行かれないが、通夜の晩と告別式の日は、中部さんのことを思い出しながら、ひとりで酒を飲む。