平成15年9月5日 Vol 87
さらば友よ 
 朝起きたら、テレビが、ブロンソンの死を告げていた。
 チャールズ・ブロンソン。81歳だったという。81歳なら、早すぎるとは言わないだろう。
 でも、ちょっと残念。
 よかったよなあ、「さらば友よ」。
 ラスト・シーン。忘れないぜ。かっこよかった。アラン・ドロンを食ってたもんなあ。
 それまで、いや、いまでも父ちゃん、アラン・ドロンの、「太陽がいっぱい」が、好きな映画のベストワンだけど、「さらば友よ」のブロンソンにはマイッタ。
 「うーん、マンダム」も真似したもんなあ。
 「雨の訪問者」「狼の挽歌」もよかった。男がいた。男臭い男がいた。
 男は、男気がなけりゃいけない。男らしくなきゃいけない。勇気のない男は、男じゃない。
 誰がなんと言おうと、これは譲れない。男は、顔じゃない。女は顔だけど。
 ブロンソンは好きじゃない、という男とはつき合いたくない。
 ブロンソンはよかったねえ、という男とは一緒に飲みたい。
 男は、男臭くなきゃいけない。
 たとえば、ジャン・ギャバン。たとえば、リノ・バンチェラ。たとえば、アンソニー・クイン。たとえば、リー・マービン。顔はゴツイが、かっこいい。そう、男は、かっこよくなきゃいけないんだよ。
 テレビは滅多に見ないんだけど、最近なぜか立て続けに、「ワーロック」と、「霧笛が俺を呼んでいる」を見た。リチャード・ウイドマークと決闘したヘンリー・フォンダが、拳銃をサッと抜いて、クルクルっとまわして砂の上にポイ。馬にまたがって去って行く。いいねえ。
 赤木圭一郎が、「霧笛が俺を呼んでるぜ」と言って去って行く。好きな女を残して。いいね。
 男は、去って行かなくちゃ。
 いつまでもぐだぐだ言って去って行かないやつは、男じゃないぞ。

さらば愛しくない女よ
 女から、「あなたのようにしっかりした男がどうしてそんなに優しくなれるの」と聞かれ、、「男はタフでなければ生きてはいけない。優しくなければ生きていく資格がない」と応えたフィリップ・マーロウ。いいねえ。いいけど、優しくなければというところがちょっとひっかかる。
 父ちゃんも昔、女から問いつめられたことがある。「あなたはどうしてもう少し優しくなれないの」。
 へ、ふざけんない、と言ってふられた。
 難しいことを言う女は嫌いだ。優しい女が愛しい
男はタフなら優しくなんかなくたっていい。でも、女はタフで優しいに限る。タフだけどきついというのも遠慮したい。
 きつい女は嫌いだ。立ち小便する女も嫌いだ。
 
 いや、実はさっき自転車のトレーニングをしてたらさ、立ち小便してる女に出くわしたのよ。
 年の頃はよく見てないから分からないけど、バアサンじゃない。ヨンジュウシチハチ。いや、サンジュウシチハチかもしれない。ニジュウシチハチじゃない。よく見てないけど、目はくりっとして丸顔。髪は長く、ちょっと茶色に染めて、白いブラウスに紺のパンツ。中肉中背。それが、なんと町道で。
 奥まった農道なら、分かる。いままでもずいぶん見てきたし、自分でもしたことがある。
 でもね、広い町道では見たことがないよ。眺めのよい海辺の道で、車の往来も多くはないけれどそれなりにある。夕方だし。我慢できなかったのだろうか。奥へ引っ込む余裕もなかったのだろうか。だろうな。
 カーブを曲がったら、こっちむいて、アッと思ったのか、急いで立ち上がって、だからチラッと白い肌が。黒い部分までは見えなかったが。女は途中で止められないと聞いたことがあるので、ちょうどうまいこと終了したところだったのかな。向こうを向いてするより、こっちを向いてした方が安全性が高いという計算はあったのかもしれない。それは多分正しいと思う。向こう向きなら顔は見えないけど、そうでない部分は丸見えになる。でも、こういう場合、どっちがいいのだろう。ま、どっちでもいいか。そうだけれども、何も遮るものがない町道は不用心ではないでしょうか。
 知らない女だったので助かったが、もしかしたら向こうはこっちを知ってるかも。こっちは結構面が割れてるからなあ。だったらヤバイよ。
 今度会ったらどうしよう。あ、こないだはどうも、って言うのもなんだかなあ。
 だからさあ、そういうことはそこまでがんばらずにさ、もちょっと前から準備してさ、どこかで隠れてしてよ。頼みますよ。