9月1日から何を学ぶのか

過去40年の統計で、1年の中で最も子どもの自殺が多いのが9月1日だと発表されてから、様々な動きがおこっています。
今現在も、NHKで番組が組まれたり、長崎でも駆け込み居場所とか、メディアの取り上げも多いです。
おこっている出来事自体は悲しい事ですが、注目されることにより、様々な情報や現状を知ってもらえる機会が増えることに繋がるので、複雑ですが取り上げられることはありがたく感じています。

でも9月1日は、ある意味1日ですが、ある意味1日ではありません。
誰にだってやってくる可能性がある9月1日を放置していては、過去の統計の意味はありません。

9月1日を高いガケの突端だとするのなら、人は誰もはじめからその場所に立っているわけではありません。
日々追い詰められながら、知らぬまに、気づかぬうちに、突端に近づいているのです。
突端に近づいていることに気づいたときには、もう自分ひとりの力ではどうにもならなくなっていて、ただただ流されるように、導かれるように、見えている突端へ進んでしまうのです。

今の対策は、突端が見えた時に初めて手に取れるものです。
重要ではありますが、それのみでは何も変わっていきません。
突端が目に入る前に、突端に流れていかないように、そういう風に考えていく必要があります。
社会や学校は知るべきです。日々追い詰めている可能性を。
そこを認めないうちは、過去の統計を発表しただけで、そこから何かを学び考えていくということにはなりません。

そして。
日々追い詰められ、突端が見えた時。突端に立った時。
飛び込む前に伝えてほしい。
はじめからこの場所に立っていたわけではないこと。
のぞんで立っているわけではないこと。
ガケはものすごく高く、こわいこと。
足がガタガタ震えていること。

社会やおとなは察さない。
伝えてはじめて、逃げ出してはじめて、爆発してはじめて、「苦しかったんだね」と言ってくれる可能性がほんのわずか生まれるに過ぎない。
だから、伝えてほしい。逃げ出してほしい。爆発してほしい。
生きるために。

2017年08月31日