ベルゼブル


前200年頃『列王紀下』第23章(日本聖書協会訳『聖書』iconより)
 さてアハジヤはサマリヤにある高殿のらんかんから落ちて病気になったので、使者をつかわし、「行ってエクロンの神バアル・ゼブブに、この病気がなおるかどうかを尋ねよと命じた。
 アハジヤはイスラエルの王だったが、バアル信仰者だった。そのため、病気になった時にはバアル神に祈祷していたのである。しかし、エリヤはイスラエルの神をないがしろにしたため、寝台で必ず死ぬだろうと言われ、その通りに死んだ。「バアル・ゼブブ」は「館の主」という意味らしい。

70年『マルコによる福音書』第3章22(日本聖書協会訳『新約聖書』より)
 また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。
 これは『マタイによる福音書』及び『ルカによる福音書』、また『ニコデモ福音書』にも、同様の記事がある。この後、もちろんキリストはそんなわけないじゃんと反論している。興味深いのは「悪霊どものかしら」とされていることで、これを典拠にベルゼルブのヒエラルキーが地獄で1位、2位のクラスになったのかもしれない。

3世紀頃『The Testament of Solomon』(JD訳)
 私が悪魔の王子に会った時、私は主なる神、天と地の創造者を讃美し、こう言った。「汝を祝福する、全能の主なる神よ、汝の僕たるソロモンに叡智を与えよ、智恵の査定官よ、かの悪魔のすべての力を服従させよ」そして、私は彼に質問した。「汝の名は?」 悪魔は答えた。「吾はベルゼバブ、悪魔の大守なり。 すべての悪魔の長官であり、彼らと親密にある。吾は各々の悪魔の出現を証明するものなり」そして彼は、契約によって、私にすべての悪霊を呼んでくると約束した。私は再び天と地の神を讃美し、感謝した。
 ここではベルベバブは、ソロモンに悪魔たちを紹介する、悪魔紹介者みたいな存在となっている。この後、いろんな悪魔が次々と現れる。

425年『ニコデモ福音書』23章(ポ−ル・ケ−ラス『悪魔の歴史』iconより引用)
 ベルゼブルめ、火とこらしめの世継ぎ、聖者達の敵であるお前が、そもそもどうして栄光の王を十字架につけ、ここに来させ、我々を降伏させるようなことを計画する必要があったのか。ふりむいてみろ。もうオレのところには死人は一人も残ってやしない。
 これは栄光の王キリストが十字架で死んで冥府に下りて来た時に、ハデスがサタンに向けて言ったセリフなのだが、ここだけ「ベルゼブル」という呼びかけになっており、「ベルゼブル=サタン」とされていたことがわかる。ちなみにこのキリストの冥府下りは、講談社文芸文庫の『新約聖書外典』iconではカットされていて、その部分はポ−ル・ケ−ラス『悪魔の歴史』で読める。教文館の『聖書外典偽典6』に全訳があり、確認したら、ほぼ同じ訳だった。

1307年ダンテ『神曲』icon地獄編第34歌(集英社文庫)
 さて、かの地点、ベルゼブから遠ざかること、その墓の長さと同じほどの距離に、眼には見えねど、ささやかな流れの音でそれと知られる一箇所がある。
 もしかすると『ニコデモ福音書』を典拠にしたのかもしれないが、それまでルチフェルと呼ばれていた魔王が、ここだけベルゼブになっている。

1486年シュプレンゲル&クラメル『Malleus Maleficarum』Question IV(JD訳)
 彼はまたベルゼバブと呼ばれ、それは、蝿の王を意味する。すなわち、キリストの真の信仰を離れた罪人の魂のことだ。
 これは日本では『魔女への鉄槌』と呼ばれる、魔女狩りテキスト。その中に悪魔に関する簡単な解説がある。蝿=罪人の魂と考えられていたらしい。

1593年クリストファー・マーロー『フォースタス博士』第五場(『エリザベス朝演劇集T』小田島雄志訳/白水社)
 おまえの仕える神はおまえ自身の欲望だ、そしてそこにベルゼバブへの愛が根をおろしている。彼のためにこそおれは祭壇と教会を築き、生まれたての赤児のなまあたたかい血を捧げよう。
 マーロウ版のファウスト物語の中では、メフィストやルシファーと共に、ベルゼバブも登場する。

1612年セバスチャン・ミカエリス『驚嘆すべき物語』(ロッセル・ホープ・ロビンズ『悪魔学大全』より引用)
 ベルゼブブは熾天使の君主で、ルシファーに次ぐ位にある。君主、すなわち天使の九つの軍団の長と言っても堕天したものである。
 ミカエリスは17世紀のエクソシストで、マドレーヌ修道女に憑依した悪魔バルベリトから教わったとして、悪魔の階級を書き記した。この階級は、今日でもいたるところで引用されている。

1667年ミルトン『失楽園』icon第1巻(岩波文庫)
 彼がなおも見わたすと、なんとすぐ横に浮き沈みつ漂っている者がいる。これこそ力においても罪においても彼の次の位する者、やがて後にパレスチナで名を馳せ、ベルゼバブと呼ばれた者であった。
 注釈には、「作者はベルゼバブをサタンの分身のように見なしているらしい」とある。

1772年ジャック・カゾット『悪魔の恋』icon(国書刊行会)
 あなたのお声は恋心を呼び起こすにふさわしいのに、あたしの臆病な心を脅かすためにしかお使いにならないのね。ねえ、あなた、もしできたら、こういってくださいな、でも、あたしがあなたのことを染々と思えるように、やさしく言ってくださるのよ、『僕の可愛いベエルゼビュート、僕は君を愛する』って。
 カゾットのこの小説は、主人公が召喚した悪魔ベエルゼビュート(ラクダのような姿をしている)が、美少女ビヨンデッタに変身し、主人公はこの変身した悪魔と恋におちるという、アニメのネタになりそうな話である。引用した部分はベエルゼビュートたるビヨンデッタが主人公に言う、クライマックスのセリフで、この後オチへと続く。

1791年C.H.シュピース『侏儒ペーター』(幻想出版局『幻想文学36』より引用)
 そして「ベルゼブル」と七回唱えた。すると実に見事な金糸の織物で仕立てた服を着て、宝石や真珠の飾りをつけた一人の男が彼の前に立った。脇に丸めた羊皮紙をかかえ、手にはペンを持っていた。部屋中に芳香がひろがった。
 シュピースの小説でも同じく、主人公が召喚した悪魔として登場。こちらは高貴で紳士的な姿で現れている。

1812年コラン・ド・プランシー『地獄の事典』ベルゼビュートの項(講談社)
 その名は「蝿の王」を意味するが、ボダンによれば、ベルゼビュートの宮殿には蝿など一匹もいないという。カナンの民が最も崇敬した神で、かれらはときに蝿の姿でこれを書くが、志高権力を示す属性を描き加えるのがふつうである。
 『地獄の事典』にはベルゼビュートの挿絵があり、見事に巨大な蝿として描かれている。この強烈なイメージが一般的かもしれない。


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