1490年『ロシア語の物語』(レイモンド・T・マクナリー+ラドゥ・フロレスク『ドラキュラ伝説』角川書店より)
ワラキアにギリシア正教を奉ずるキリスト教徒の君公が居った。名をワラキア語でドラクラ(ドラキュラ)といい、これを我らの言葉に直せば悪魔の謂である。その名のごとく冷酷なまでに伶俐で、その生涯もまた同様であった。かつてトルコのスルタンの便者らが、彼のもとに伺候した。宮殿に入って礼をつくしたが、かれらの習憤にしたがって冠りものを取らなかった。ドラキュラは尋ねた。「何故そのようなまねをする? その方らは一国の君主を訪れた使者でありながら、このわしを羞しめるのか」使者らは「これが私どもの国の習慣なのです、殿下」と答えた。そこでドラキュラは、「ならばその方らの習慣とやらを強めるがよい。すこしも臆するでないぞ」言うなり、かれらの冠りものを小さな鉄釘で頭に打ちつけるよう命じた。
こちらも同じく『ドラキュラ伝説』の巻末資料より。「レニングラードのサルトゥイコフ・シレュディン公共図書館所蔵のキリロフ・ベロゼルスキー修道院写本中の写本番号11-1088番」にあるらしい。ドラキュラの残虐性を示す、軽いエピソードをひとつ。これよりももっとスプラッターなエピソードがたくさん書かれている。
1499年『ドラキュラ大将軍血に飢えたる野蛮なる兇悪漢についての物語』(レイモンド・T・マクナリー+ラドゥ・フロレスク『ドラキュラ伝説』角川書店より)
これこそはドラキュラ大将軍なる、血に飢えたる兇悪漢の残酷無残な恐怖物語の始り。これより語るるは、人々を串刺しにし、焙り焼きにし、頭を鍋に突込ませて釜ゆでとし、また人々の生皮を剥ぎ、キャベツのように切り刻んだことの次第。はたまた小児らを照り焼きにして、母親らに自分の子供を食べさせた。そのほか身の毛もよだつ恐ろしきことどもが、いかに彼の治める国で起こっているか、この小冊子にて縷々語られる。
もひとつ、『ドラキュラ伝説』から歴史資料を。これは「ニュールベルクでアンブロシウス・フーバーの手によって発行された」ものだそうで、人が串刺しになったたくさんの剣山を見ながら、人肉料理を喰っているドラキュラのイラストつき。
18年ブラム・スト−カ−『吸血鬼ドラキュラ』(平井呈一訳/創元推理文庫)
アルミニュース君にいわせると、ドラキュラ家は、その子孫に、往々当時の人から悪魔としてかつがれた者が幾人か出たけれども、とにかくれっきとした大貴族だそうだ。文献によると、なんでもへルマンスタット潮の山の上のショロマンスに道場があって、代々そこで魔法を授けたものだそうだが、今のドラキュラはその十代自の師匠なんだそうだよ。記録の中にはstregoica(魔女)ordog,pokol(悪魔、地獄)などという言葉が出ておるし、今のドラキュラが吸血鬼だということも、文献にちゃんとのっておる。
そして吸血鬼ドラキュラの誕生である。この書は有名であるし、活字が嫌いな方はコッポラ監督映画『ドラキュラ』を見るとよい。しかし、最近いくつかの掲示板などを見てると、意外に映画『ヴァン・ヘルシング』に登場するヘルシングの元ネタが、この書に登場する吸血鬼研究家のヴァン・ヘルシング教授のことだということが知られてなかったので、びっくり。