マンモン


80年代頃『マタイによる福音書』第6章(日本聖書協会訳『新約聖書』より)
 だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親んで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。
 この「富」というのが、欽定訳では「mammon」となっている。これはシリア語で「富」を表す言葉で、もともとは財産の意味しかなかったが、これが後に悪魔化していくことになる。

80年代頃『ルカによる福音書』第16章(日本聖書協会訳『新約聖書』より)
 またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠に迎えてくれるのである。
 『マタイ』のは上はよく引用されるが、こちらはあまり知られていない。この「不正の富」が同じく欽定訳では「mammon」となっている。『マタイ』では否定されていた存在が、ここではわりと肯定的に扱われているのが興味深い。

1486年シュプレンゲル&クラメル『Malleus Maleficarum』Question IV(JD訳)
 そしてまた、強欲と富の悪魔は、キリストが福音(『マタイ』)において、「他の神に仕えることはできない」と言及する、マンモンと呼ばれている。
 これは日本では『魔女への鉄槌』と呼ばれる、魔女狩りテキスト。その中に悪魔に関する簡単な解説がある。ここではマンモンが「強欲」にあてられている。

1667年ミルトン『失楽園』icon第1巻(岩波文庫)
 指揮者は――マンモン。そうだ、天から堕ちた天使のうち、これほどさもしい根性の持ち主もなかったという、あのマンモンであった。天国にいた時でさえ、彼は常にその眼と心を下に向け、都大路に敷きつめられた財宝、つまり足下に踏みつけられた黄金を、神に見える際に切々と胸に迫るいかなる聖なる祝福よりも遥かに讃美していた。のちなって、人間までもが地球に対する掠奪を始め、その冒涜無残な手をもって母なる大地の臓腑を探り、本来そのまま秘められていてこそ然るべきであった数々の宝を奪取するにいたったのも、もとはといえば、このマンモンの示唆によって大いに教えられたからに他ならなかったのだ。
 ミルトンの時代には、完全に金の亡者となっている。人間に鉱物を掘る事を教えた存在らしい。

1812年コラン・ド・プランシー『地獄の事典』マモンの項(講談社)
 吝嗇の魔神。ミルトンによれば、大地を引き裂いて、財宝を堀り出す術を初めて人間に教えたのはマモンだという。
 「吝嗇」って、小難しい翻訳がされているけど、ようするに「ケチ」。ここにあげたのは全文で、短い扱いだった。



研究室