前8世紀頃?ホメロス『オデュッセイア』第12歌(松平千秋訳/岩波文庫)
よほど剛力の男でも、うつろな船から矢を放って、洞窟の奥まで届かせることはできぬであろうが、ここが不気味な声で吼えるスキュレの棲家なのです。その声は、生れたての仔犬の声ほどであるが、これは恐るべき怪物で、その姿を見て嬉しがる者は一人もおるまいし、いや、神とてもこの怪物に出会われたら、同じ想いをなさるだろう。足は十二本、いずれもぶらりと垂れており、頗る長い頸が六つ、その一つ一つに、見るも怖ろしい首が載っていて、ぎっしりと詰った歯が、黒き死の恐怖を漲らせて三列に並んでいる。
これは漂流するオデュッセウスたちに、女神キルケーが語った言葉。神々すら恐れる不死身の怪物として描かれている。キルケーの言葉を聞いた後、オデュッセウスたちの船はスキュラのいる海を渡り、オデュッセウスは武器を持ってスキュラと戦おうとするが、それも虚しく、6人の乗組員が殺されてしまう。
前275年頃アポロニオス『アルゴナウティカ』第4歌(中岡道男訳/講談社文芸文庫)
またスキュラのいとわしい隠れがに近づかせ、――それは、クラタイイスとよばれる、夜をさまようヘカテがポルキュスと交わって生んだ、アウソニアの残忍なスキュラです――より抜きの勇士らがこの怪物の恐ろしい顎に不意をを襲われて殺されることがあってはなりません。
というのは、女神ヘラがテティスに語った言葉。これは所謂アルゴ探検隊のエピソードのひとつで、アルゴ船がスキュラのいる海を渡らなければならない運命にあることを語っている。ヘラの指示により、テティスはアルゴ船を守り、無事にスキュラのいる海を通過させる。
前19年ウェルギリウス『アエネーイス』第6歌(岡道男、高橋宏幸訳/京都大学学術出版会)
数多く、さまざまな獣の奇怪な姿が門に棲みついている。ケンタウロスらや、双形のスキュラ、百の腕をもつブリアレウスに、舌鳴らす音も恐ろしいレルナの怪物、炎を武器とするキマエラ、ゴルゴやハルピュイアや、三つの体をもつ亡霊の姿など。
アエネーイスらが冥府に行った時の話。冥府の門のところで、これらの怪物たちと出会うのだが、いずれも実体を持たない幻。英雄たちに滅ぼされた魂が彷徨っているのかも。
8年頃オウィディウス『変身物語』第14巻(中村善也訳/岩波文庫)
やがて、スキュラがやって来て、腰のあたりまで水につかった。ふと見ると、吠えたてる怪物たちが下腹のあたりにとりついていて、何とも恰好が悪いのだ。はじめは、それらが自分のからだの一部であるとはおもいもしないで、逃げようとしたり、追い払おうとしたりした。犬たちの無遠慮な口が恐ろしかったからだ。が、逃げようとしても、彼らはついて来る。そして、腿や脛や足のあたりを手さぐりしてみると、それらのかわりに、まるで、地獄犬ケルベロスのそれのような、大きく避けた犬たちの口にぶつかるのだ。つまり、彼女は、荒れ狂う犬たちに支えられて立っており、途中でちぎれた腰と、腹とで、下になった犬たちの背中を、上からおさえつけているという状態になっていたのだ。
スキュラ誕生シーン。スキュラはもともと美しい乙女だった。海神グラウコスから求愛されたが、これを拒んでしまう。グラウコスは魔女キルケに惚れ薬の調合をたのむが、キルケはグラウコスに横恋慕していたため、呪いの薬草で、キルケを化け物に変えてしまった、という話。スキュラにしても、メデューサにしても、ギリシア神話の美女は化け物にされやすい。ちなみにこの話は、さかもと未明の『マンガ ギリシア神話、神々と人間たち』でレディコミ風に漫画化されていて、活字嫌いな方にオススメ。
1世紀頃アポロドーロス『ギリシャ神話』第2巻(高津春繁訳/岩波文庫)
この後二つの道に来た。一方には漂い岩が一方には巨大な断崖があった。その中の一つに、クラタイイスとトリエーノスまたはポルコスの娘で、その顔と胸は女で、その脇腹より犬の六頭十二足が生えているスキュラがいた。
『オデュッセイア』の話を簡単に解説している。この他、アルゴー船のイアソンたちがスキュラと遭遇した話も、とても簡単に紹介している。
1667年ミルトン『失楽園』第2巻(平井正穂訳/岩波文庫)
カラブリアと白波よするトリナクリアの浜辺とを隔てている海のなかで、水浴中のスキュラを狂乱させたものでも、これらの猟犬ほどおぞましい姿はしていなかった。
これはサタンが地獄の門へ行った時、その門にいた「凄絶な異形の者」の描写に含まれているもので、ミルトンはこの「凄絶な異形の者」を上半身は美しい女性で下半身は蛇の姿で、そのまわりに地獄の番犬がいるとし、スキュラをモデルとしている。なお、注釈によるとカラブリアはイタリア半島南方、トリナクリアはシチリア島の事で、メッシナ海峡あたりにスキュラはいたらしい。