佐賀


1999年2月19日
 〈Dictionary of Pandaemonium〉という神話ヲタクが集うホームページがあり、私はよくそこのチャットに参加していた。当時、このチャットにダッキさん(さすがに仮名)という女性がよく来ていた。話してみると佐賀に住んでいるということなので、あくまでも自然の成り行きで、今度逢おうかという話になった。言ってみれば「デート」なのだが、神話ヲタクな二人がそろって、世間一般で言うところの「デート」なんか考えているわけもなく、「佐賀に伝わる徐福伝説を追え!」といった展開となる。
 長崎から佐賀までは、有明海を右手に見ながら3時間程かかる。高速使えばもっと早く着くのだろうけれど、時間よりも金が惜しい。朝9時に家を出発して、昼12時に集合場所の〈佐嘉神社〉につく。ここは佐賀市の中心部にある、中心的な神社だ。門のところに、アームストロング砲が置いてあって、その近くで待っていると、ダッキさんがやってきたので、「初めまして」と挨拶を交わす。ダッキさんは今日は夕方からバイトが入っているそうなので、早々に動いてまわることにした。
 まずは、愛車を佐賀市金立町の方向へ向けて走らせる。金立市の金立山こそが、佐賀徐福伝説の舞台なのである。金立山の頂上には〈金立神社〉という神社があって、そこにはなんと、徐福が祭神としてまつられているのだ。しかもかなり珍しい、石造りの神社である。その昔、中国から不老長寿の薬を求めて日本にやってきた徐福は、佐賀の地に上陸し、この金立山に登ったらしい。石造りの神社を見ていると、これは渡来人が造ったものでも、おかしくはなさそうだ。神社の背後には地面から湧き出るように立つ巨大な岩があって、さらに神秘性をかもし出していた。ただ、本当に山の中にある神社といった感じなので、神社までの行き帰りの道のりが、けっこう大変だったり。
 ふもとには、〈徐福長寿館〉なる資料館みたいなのもあるので、そちらに向かう。さすがに今日は、他にお客がいない様子で、受付の人が事務所で寝ていたりした。入場すると、サービスで苗木がもらえ、休憩所みたいなところにお茶を用意しているので飲んでくださいと勧められる。ここは日本における徐福伝説の解説や、徐福の生まれ故郷の様子などが展示され、不老不死の薬草にちなんで、ハーブの解説なんかもされてある。佐賀の徐福伝説をアニメーションにしたビデオが見られるので、それも見てみたり。伝説によると、ここで徐福はお辰という女性と出会い、ちょっとしたロマンスがあったそうだ。徐福が佐賀に稲作などの文化をもたらした後、さらに東に行くというところで、アニメは終わる。ちなみに研究家たちは、徐福が稲作などの弥生文化をもたらしたのではないかと考えているようだ。
 この金立山から、その弥生時代の遺跡である〈吉野ヶ里遺跡〉までは、車で10分ほどでつくので、そっちの方にも移動。吉野ヶ里は、まだまだ整備中で、ちゃんと公園が完成するのは平成13年のことらしい。現在は復元された集落と、発掘資料館を見ることができるので、集落をブラブラしつつ、竪穴式住居の中に入ってみたりする。資料館には、いろいろと発掘されたものが展示されていて、古代ロマンに心を躍らせることができる。奥の方では3D映像で、古代の生活の様子が綴られていた。吉野ヶ里はまだまだ発掘の途中で、特に発掘したら凄いものが出そうな神社周辺の森が、事情により発掘できない状況なのは残念だと思う。そういえば、テレビ番組だったかで、この森に卑弥呼が眠っていると言ってた人もいたっけ。
 この他にもいくつか神社を回ったので、全部で、神社5つと吉野ヶ里とまわったことになった。ちょうどいい時間に夕方17時になったので、ダッキさんをバイト先まで送っていって、私は長崎へ帰る事にしようと思ったものの、まだ早い時間なので、フラフラと佐世保方面へ向かい、西海橋経由で帰ることに。

1999年3月10日
 1ヶ月がたって、またダッキさんと佐賀で逢う事になった。ダッキさんはもうすぐ短大卒業して実家に帰るので、その前にまた佐賀観光をしておこうという感じだ。今回もまた〈佐嘉神社〉で待ち合わせをし、今度は佐賀県大和町付近の探索に出かける事に。大和の名を持つとおり、古代肥前国の中心地だったらしいところだ。
 まずは官人橋を渡って、川辺にある〈與止日女神社〉へ。ここは神功皇后の妹である與止日女を祀っている神社だ。去年、一度来たことがあるが、去年は5月に来ていて、その時はこの川のところにもの凄い数の鯉のぼりが舞っていて、壮観だった。それをダッキさんに見せられなかったのが、残念だ。ちなみにこの<與止日女神社〉は別名を「乙姫神社」と呼ばれていて、竜宮伝説にも結びついている。次に神社の向かいにある〈実相院〉の山門の仁王像を見物。なかなか、迫力有る像である。しかし、門はあっても、お寺自体が何処にあるのか、わからなかったり‥‥。
 それから車に乗って、全長114メートルの前方後円墳〈船塚古墳〉へ移動。小高い丘が畑の中にポツンとある感じで、古墳という看板がなかったら、わからないようなところである。〈吉野ヶ里遺跡〉のように観光用に周辺整備する気はないらしいというか、発掘自体も中断されているらしい。まわりに人気は無いので、昇っても怒られそうにないので、古墳の上に昇ってみる。けっこう高いので、昇ってまわりを見渡すと、気持ちがいい。
 それからまた車に乗って、嘉瀬川を北上して、〈肥前大和巨石パーク〉へ。ここは古代に神として信仰された巨石群をメインにして造られた公園なんだそうだ。駐車場に車を止めて、事務所みたいなところに行くと、まだ上まで車で行けると管理人の人が話す。事務所みたいなところに展示されている写真をみてから車へ戻り、さらに上の駐車場へ。下の方は多目的グランドやアスレッチック施設なんかがあるらしい。駐車場を降りて、肝心の巨石群の方へ向かおうとした我々の前に現れたる道は‥‥山の奥へと続く山道だった。公園の中を巨石を見ながら散歩するという私の想像図は脆く崩れ、山の中を巨石をさがして、えっちらほっちらと登っていくハメに。私一人ならなんとかなるのだが‥‥いや、一人でもなんともならないか‥‥とにかく、ダッキさんを心配しつつ、山の中を延々歩く。けっきょく、きついので全部で16個あるうちの5個くらいしか見れなかった。
 この巨石信仰の中心となっているのは、「他化大明神岩」という岩で、世田姫を祀ってあるのだという。これは見れなかったので残念だった。ところで、この「世田姫」を「ヨタヒメ」と読むと、與止日女の「ヨドヒメ」と語感が似てくるんだよな。実際、この山道を歩いていると、 〈與止日女神社〉の方に出るらしい。その昔、この佐賀に女土蜘蛛がいたことを考えると、かつてこの佐賀大和に卑弥呼のような女王であり巫女である女がいたのではないかと、考えてしまう。いずれにしても、神話の探求に最も大事なのは、体力だと痛感した。


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