時間帯 | 教 室 名 | 場 所 | 講 師 名 | 連 絡 先 | ||||||
火曜日 | 午 前 | 千歳研画会 | 長崎市千歳町 広雲堂画材店 | 田中 桑允 | 犬塚(095-878-8554) | |||||
水曜日 | 午 前 | 深房会 | 長崎市深堀町 深堀ふれあい センター | 田中 桑允 | 山口(095-878-1616) | |||||
木曜日 | 午 前 | 長崎南画会 | 長崎市茂里町 長崎新聞 カルチャーセンター | 川本 枯石 | 井手口(095-845-0317) | |||||
金曜日 | 午 後 | 北房会 | 長崎市千歳町 チトセピア 北公民館 | 川本 枯石 |
小坂 |
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土曜日 | 午 前 | 青房研画会 | 長崎市千歳町 広雲堂画材店 | 田中 桑允 | 田中(095-826-7838) | |||||
第2・第4 土曜日午後 | 大村青房会 | 大村市 シーハット大村 文化棟 | 川本 枯石 | 柳川(0957-23-1020) | ||||||
第3土曜日 10時〜17時 | (諫早)南画研究会 | 諫早市宇都町 勤労福祉会館 | 川本 枯石 | 井上(0957-53-1955) |
南画とは
中国の明から清の時代、高級官僚や教養人が趣味として好んで描いていた優雅な表現の水墨画です。
16世紀の中頃の明代末期の画家で、画論家の董基昌(1555〜1636)が、唐の時代まで遡って、中国の水墨画を禅宗に二宗があるように、絵の世界にも北宋画と南宋画の二つの画風があることを説き、文人(職業画家でない人)の多くが南宋画を描いていたことから文人画と南宋画は同じものとみなされるようになりました。
江戸中期にこの南宋画が長崎を通して日本に伝来したことから、多くの文人墨客は長崎に学び、或いは「芥子園画伝」や「八種画譜」などによってその技法を習得しました。
それゆえに長崎においては南画の発祥地として、今日に至るまでその伝統が守られて、描き続けられています。
日本において、文人画と言われている絵には、様式的には文人画のスタイルもあれば、北宗画の様式を取り入れたものもあり、また、さくしゃも教養人(文人)が趣味として描いているものではありません。そこで日本では明治以降これらの絵を「南画」という言葉で包括し、これが明治以降定着し、文人画という言い方よりよりも「南画」という言い方が一般化されてきました。しかし、現代においては風景画が現実的な対象となり、西洋画の描法が取り入れられるようになったことから「南画」という言葉は薄れ、水墨画の中に包含されてしまいました。
水墨画との違い
中国で描かれた士大夫の絵と言われる文人画も元来は水墨
画です
しかし、山水画法は西洋画における遠近法を用いず「三遠法」
(注1)を基本構図としたものであり、また、南画の本質は作者の
精神を表現するもの(写意)即ち、神仙思想に由来したもので、
それは文人の理想郷だったのです。また、南画の山水画法は皴
法を用い、花鳥画は鈎勒法(縁どりしたもの)や没骨法(縁取り
しない画法)が用いられその作品の中には「画の六法」(注2)が
なければならないと説かれています。
現在我が国における展覧会においては、長崎及び九州南画院所
属の「みやこ南画会・若松南画会・日田南画会・田川南画会」を
除いては純粋な南画展を観る事はできないと言ったら言い過ぎ
でしょうか。
その多くは「○〇水墨画展」と銘打っており、花鳥画や一部
の山水画の中には南画の技法も見受けられるものの、山水画の
多くは西洋画技法の「遠近法」を取り入れた風景画が主流と
なっていると言っても過言ではないと言えなくもありません。
注1「三遠法」
1 高遠 (下から見上げるような山の高さを表現)
2 平遠 (近くの山から遠い山を見晴らすような広さの表現)
3 深遠 (山の全面から山の背後を覗き見る、いわば深さを表現)
注2「画の六法」
1 気韻生動 (生命観が宿るように生き生きと描かれているか)
2 骨法用筆 (力のこもった描きかたで描かれているか)
3 応用象形 (描く対象に似ているか)
4 随類賦彩 (色が適切に塗られているか)
5 経営位地 (前後の位置や画面構成がうまく配置されているか)
6 傳模移写 (古図を模写して勉強しているか)
「青房会ホームページをリニューアルしました。下記アドレスからお願いします。
http://sites.google.com/view/nagasaki-nanga へのリンク
私たち「長崎南画青房会」は、故箕田韭白 (九州南画院会長)が主宰して、昭和53年発足以来、長崎南画の伝統を守り、精神を重んじる南画道に精進しています。 長崎市はもとより、県北においても南画の普及に努め長崎市においては毎年1回、県北佐世保市でもこれまでに3回「長崎南画青房会展」を開催して参りました、 また、 長崎市内の小・中学校に於いて毎年2校ないし3校で「墨絵教室を実施しています。
あなたも南画初めてみませんか、「長崎南画青房会」では下記教室で南画教室を開設しています。南画に興味のあられる方下記教室を覗いてみませんか。
※問合せ 山口(095-878-1616)まで
長崎の南画
江戸時代鎖国日本の唯一の貿易港であった長崎に、享保年間に中国南宗文人画が「伊于孚九」によって伝えられたが、この時は長崎ではほとんど注目されなかったと言われています。
19世紀になって、「江稼圃」や「江芸閣」といった来舶清人によって南画が伝えられると長崎の人たちに注目され、全国に発信されて、長崎が我が国の南画界の中心と称されるに至り、その筆法は日高鉄翁・木下逸雲・三浦梧門の長崎三画人を輩出し、多くの人々にその筆法を伝え、長崎南画界の力を形造り、現在に至るまで長崎の伝統文化として脈々と受け継がれています。