昭和38年5月22日、当時谷文晁系の小林翠雲と共に、我が国の南画檀の双璧と称された松林桂月翁が亡くなった。
それを惜しんだ各新聞社が「日本の最後の南画家であった」と報じた。その記事を読んだ北九州若松の南画家で歌人でもあった久保田華房先生は、ある新聞の随筆の欄に筆を執って次のような文を乗せた。
「松林桂月翁は、日展系の枠内での南画家の最高峰であったことには異論はないが、日本最後の南画家とは行き過ぎである。即ち長崎に中国から文人墨客が渡来して、創始された南画は、九州が発祥の地で豊後竹田「田能村竹田」・「平野五岳」、また長崎の「僧鉄翁」ら、多くの有名な大家を拝出しその伝統を継いで絶えることなく、未だ格調の高い純粋な南画温存されている.従って九州の南画は健在で滅びず」
 そけを読んだ各地の同好の人や南画家から、激励の便りが寄せられそれらの人々と近在の先輩同志の人々が呼びかけて結束を固め、福岡県内は基より、大分・熊本・佐賀・長崎・山口からも参加して、昭和38年11月北九州若松の丸柏デパートで第1回の展覧会を開催して「九州南画院」は発足した。
創立者久保田華房曰く。
 「南画とは、高い教養と思想をともなった詩人派の文人・学者・紳士淑女の人たちが、単に文章や詩歌による以外に、造形美術の手法によって描き表した極めて自由で主観的な立場から原始的な姿勢を好んだ表現派の絵画である」と。
 現在は南画も日本画も、隆は的見地から捉え難いものになっていますが、其の画法筆法は異なっていても、自然崇拝の精神や感覚は相通じるものがあり、それを重んじながら各地の伝統を守り、大同団結して発足以来今日まで大分県日田市の「日田市民文化会館パトリア日田()」を中心に2年に1回の展覧会を開催しています。
 
  
 

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九州南画院の設立

九州南画院

九州南画院事務局

岩口 春雲   TeL 0973−23−9250

今回は、2015年(平成27年)開催の九州南画院第100回記念展の展示作品の一部を掲載いたします。なお掲載は順不同になっています。また、、写真の色合い等万全でないこともお許しください。

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