皆さんは、長崎湾入り口に浮かぶ 端島,高島,中ノ島と言う三つの島をご存知でしょうか。    
沖には、長崎浜ぶしにも唄われている、三ツ瀬と言う漁場があります。つりの名所です。    
先週会の探訪行事で、高島を訪ね、今日はまた、端島の世界遺産運動を起こそうとしている会の、
端島こと軍艦島の写真展を観に行って来ました。                      
三つの島は、戦中から戦後の一時期まで炭坑の島として栄えました。             
端島には、最盛期、10ha 程度の狭い土地に、5000人の住民がひしめいていました。   
幼稚園から小学校、中学校が7〜8階のビルに縦に重なり、鉄筋コンクリ−トの炭住ビルが大小、
林立し、島の外から見ると、戦艦さながらで、長崎人はこれに軍艦島の愛称を付けていました。 
  昭和49年に閉山した後、無人の島となり、風雨にさらされて今ではゴ−ストタウン化しています。
かってこの島に生まれ、この島で育った一人の青年が、仲間を集い、島の建造物の復元と世界遺産
への登録を目指して運動を始めようとして、島の現状を写した写真展を開きました。      
その心情に心打たれます。因みに、端島の模型が明治村に展示されているそうです。      
                                     高島は、地形穏やか風光明媚の島であります。                       
ここにはかって三菱高島炭坑があり、戦中は強制連行の島でもあったと思います。(S61年閉山)  
いまや、閉山のあとは然したる産業もなく、釣り、海水浴などレジャ−の島として生き残ろうと 
しています。
ここは、炭坑の面影はほとんど残っておらず、炭坑ゆかりの施設と言えば、かっての炭坑主であっ
たグラバ−さんの別荘が一部寂しく、草むらの中に残っているに過ぎませんでした。      
  二つの島に共通して ”強者どもが夢の跡”の感慨を深くしました。
                          

02.12.01
軍艦島の会
                       
 
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