連休の混雑も一段落した5月中旬、例年のことですが、JIJIらの同期会が開催されました.
今年の総会は、4月にオ−プンされた 戦艦大和ミュウジアム の見学を兼ね呉市で行われ、
翌日は周辺の見学で、瀬戸内海に浮かぶ歴史の島、上・下蒲刈島を訪ねました.
この島は江戸期、日朝の政治・文化の交流に大きな役割を果たした朝鮮通信使の宿泊地で、
資料館には、通信使を敬意をもって歓迎した様子を伺わせる、貴重な資料が数多く展示さ
れていました.今日の日韓朝のあれこれを思い、ろいろと考えさせられることがありました
ところで、見学の帰り道に立ち寄った、物産館で、最近の自然食ブ−ムの中で人気の高い
手作りの塩を見かけました.手作りも手作り古代・万葉の製法による天然塩とうたわれてお
り、その名も優雅に「海人の藻塩」と名付けられていました.
JIJIは、複雑な感慨をもって、土産用に小瓶入りを10数個買い求めました.
実はJIJI、BABAの生まれ故郷は製塩の盛んな土地で、特に、BABAの生家は製塩を家業とし
ていました. JIJI、BABAの若い頃(昭和30年代)、その製法は 「入り浜方式」と呼ばれ、
広い塩田に撒かれた砂に、海水を人力で散布して天日で水分を蒸発させ、表面に塩の付着
した砂を、これも人力で掻き集めてそれに海水をかけ、塩分の濃い海水(鹹水)を造り、で
きた鹹水を地獄の釜もかくやの、大きな平釜で 煮沸して塩分を析出させて塩を作る方法で
した.[にがり]は釜底の残り汁です.
その後、塩田だけの天日製塩は生産性が低いということで、高く組まれた竹枝の梁に海水
をかけ、流下する間に水分を蒸発させる「流下式製塩法」を併用したり、平釜の代わりに
真空式の多段蒸発缶で鹹水を濃縮する方法を採り入れたりと、生産性向上の努力がなされ
ましたが、如何せん当時発明された(化学式)浸透膜式製塩法に生産性、経済性で対抗でき
ず、政府の数次にわたる塩田整理法の適用を受け、昭和40年代半ば全国の塩田は、あっと
言う間に姿を消してしまいました.BABAの生家もそうして消えた中の一軒です.
このたび求めた藻塩の製塩現場は見ていませんが、流下式の竹枝の代わりに、「ほんだわ
ら」という海藻を使って出来た鹹水を平鍋で煮沸するか、または、「ほんだわら」と共に、
焼くかして、海藻に含まれる沃素等の栄養分を塩に混入しているものと推察されます.
今日吾々が口にする食塩は大部分が浸透膜法による塩で、その成分組成は、海水のミネラル
組成に比べ、塩化ナトリウムの割合が極度に高く、マグネシウム(にがり分)の少ない塩で、
ナトリウム分 が100%に近い白い塩ほど、上質とされています.
これが最近は、成分のバランスを欠くと敬遠されて、海水のミネラル組成を保つ手作りの
天然塩が重宝される所以となっています.今にして手作りの塩に回帰するのであれば、塩田
を何らかの形で少し残して置いてもよかったのではと思います.このような生産効率優先の
政策の中で、生産性が低いがために消えていった産業に、石炭産業、生糸産業等々があり、
林業、農畜産業も近々似た運命を辿り、日本の自立に禍根を残すのではと危惧されます.
JIJI一人の感慨でしょうか.
平成17年5月25日
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