essay
  平成16年12月5日 16
海を見ながら
思えば遠くへ来たもんだ
遭難。
 今朝も7時に家を出た。
 あたりはまだようやく明るくなりかけたところで、空気が凛としている。聞こえるのは鳥の鳴き声だけ。鶏が鳴き、小鳥がさえずる。それ以外は静ひつの世界。風もない。1分ごとに空が明るくなってくる。
 きょうもバイク(自転車)の朝練。少し走って高台にでると、ちょうど朝日が上がってくる。大村湾を挟んで対岸の雲仙普賢岳からまん丸の太陽が顔を出す。
 昔から朝日が好きで、よく早起きして朝日を見に行った。ジョギングで稲毛の浜へ行ったり、車でわざわざ銚子まで行ったこともある。海で見る朝日もいいが、山で見る朝日も荘厳で、何かが始まる感じがして好きだった。
 朝日が昇り出すとバイクを止めて、上がりきるのを見届ける。そしてまた走り始める。尾戸半島は坂また坂。町道は起伏が続く。いまの季節、明け方はしっかり冷え込んでいるので坂をかけ下ると寒さで涙がほとばしる。サングラスの間から人差し指を突っ込み、涙をふきながら一気に海へ下る。勢いに任せて海辺をガンガン漕ぎまくる。
 帰りは大変だ。当たり前だけど、下った分だけ登らなければならない。ヒイヒイ言いながら急坂をもがく。ま、このもがきをやるために出かけるようなところもあるのだが。でも、登ったり、下ったり、もがいたり。どうして昔からこういうことが好きになってしまったんだろう。
 帰ってきて朝風呂に入る。五右衛門風呂だからまだ昨夜のお湯が暖かい。
 浴室の窓を開け放てば柔らかい日差しを浴びて、これがまた気持ちいい。庭には菊の花が咲いている。

 秋の花だからかもしれないが、菊にはなにかもの悲しさを感じるなあと、そんなことを思いながら海とその向こうの多良岳山系の山々を眺めていたら、昔の古い友だちのことを思い出してしまった。
 ひとは誰でもひとつやふたつ、思い出したくない記憶を背負って生きている、かどうかは知らないが、私には消そうとして消えない記憶がいくつかある。昔、山をやっていた頃の友だちのことがそうだ。もう、三十年以上も前のことだが、ふたりの親友を山でなくした。
 MとQ。このふたりとはよく一緒に山へ登った。当時、まだ二十代の頃だが、私は岩登りに熱中していて、元気もよかった。
 日本の難しい岩壁をいくつか登って、ヨーロッパ・アルプスへも行った。マッターホルンやモンブランの登頂を果たし、帰ってきたら、いちばん仲のよかったザイル・パートナーのMが北アルプスで遭難死していた。ナホトカから船で横浜へ帰ってきて、その横浜の埠頭に降り立ったところで知らされた。山の仲間が気を遣って、遠征中は知らせてくれなかったのだ。彼には行く先々から絵はがきを送っていた。4ヶ月間ほどの遠征だったが、Mは私が出発したすぐあとで事故にあったので、絵はがきは読んでいない。穂高の滝谷という岩場で転落したのだった。
 横浜からその足で荷物を担いだまま彼の家へ行き、お線香を上げた。山の格好をした笑顔の写真が飾ってあった。
 Mとは高校の山岳部で一緒だった。クラスは違ったが同級生で、穏やかな性格のいいやつだった。おとなしいのに乱暴な私と妙に気があって、卒業してからも親交は続いていた。会社の帰りに、屋上ビアガーデンでよく海外登山の夢を語り合ったりした。
 私が会社を辞めてヨーロッパ・アルプスへ行くと告げたら、目を輝かせたが、「いいなぁ」と言っただけだった。行きたくても行けない事情は誰にだってある。滝谷を登攀しながら、何を想っていただろう。いつだって冷静で、慎重な男だったのに…。

 Qとは初めて勤めた会社で一緒だった。1年先輩だったが、私が山へ引きずり込んだ。もちろん無理やりにではないが、Mがいなくなったので、新しい相棒がほしくなったということもある。岩を登るには気のあったザイル・パートナーが必要なのだった。私は後輩なのに大きな面をして、冬山へも連れ出した。たちまち山の魅力にハマっていった。
 そして、ある夏の日、彼は死んだ。
 会社で仕事をしているところへ遭難の知らせが入った。北アルプスの黒部五郎岳を縦走中、転落し、動けずに黒部五郎小屋に収用されているとのこと。
 上司にわけを話し、山の友人(先輩)と救助に向かった。現地の山岳救助隊と合流して対策を練ったが、天候が悪くてヘリが飛ばせない。私は大きな酸素ボンベを担ぎ上げる役を任された。現場までは遠く、速く歩いても二日間かかる。一日目は途中の太郎平小屋まで。翌日も悪天候の中を歩き続けた。酸素ボンベは何`あったのか知らないが、肩に食い込むほど重かった。
 小屋に寝かされた彼に好物のキュウリをあげたら、少し食べてくれた。話もした。翌日もヘリを待ったが、天候は荒れ続け、首の骨を折っていた彼はそのまま息を引き取った。
 私はいま、これ書きながら泣いている。ずっと忘れようとしてきたのにまた思い出してしまった。今朝、バイクの練習から帰り、いい気持ちで朝風呂につかって山を眺めていたら昔を思い出したのだが、実は昨晩、その遭難救助に同行した先輩から、何年ぶりかでいきなりメールをもらったのだった。
 遺体は、体力のある者が交代しながら担いで下ろした。歩くたびに頭がガクンガクンと揺れ、自分の頭に当たった。私は、ごめんな、ごめんなと謝りながら歩いた。下まで二日かかった。