essay
  平成17年5月1日 18
海を見ながら
思えば遠くへ来たもんだ
初夏の夕暮れどき
 いい季節になった。
 ツツジ、テッセン、イチハツ、ボリジ、それにあれはスイトピー。向こうに見えるのはシラン、ヒナゲシ、イキシア、ガーベラ、だよな…。庭が、ピンクや紫、赤紫や白、赤い花で埋まっている。まさに百花繚乱、昔、アメリカ南部を旅したときに泊めてもらった民家で見たパッチワークのベッドカバーのよう。モミジや栗、クスノキ、梅、モッコク、桜、桃など、出てきたばかりのやわらかな新緑もきれいだ。
 一年中でいちばん好きな季節はいつですかと聞かれたら、私は迷わず、「初夏の夕暮れどきです」と応えるだろう。
 露天風呂からあがり、ベランダのデッキチェアに深く腰を沈め、いま、ビールを片手に新緑を眺めている。視界に入る山は樫や椎の木の雑木林で、だからさまざまな生まれ変わったばかりの緑を折り重ねたちょっと渋めな品のいいタペストリーのような色模様。夏も冬も色を変えない檜や杉の山でなくてよかったなあとつぶやいて海に目を移せば、順光の光を受けて5分おきに色が移り変わっている。さっきまで黄金色だった海が、少しずつ橙色に変わり、やがて色がくすみ、桃色から紫色に染まっていく。漁を終えて港へ帰る船の航跡が白い一筋の線を引く。
 まだ辺りは十分に明るいのに、しかも妻はまだ畑で汗を流しているのに、(耕耘機の音が聞こえる)早めに薪風呂を浴びてスーパードライをごくりとやっている。いいじゃないの、一年中でいちばんいい季節なんだから。

 先週の日曜日、二番目の息子の結婚式に立ち会ってきた。千葉市稲毛の小さな神社での簡素な式だったが、それゆえにさわやかで清々しい結婚式だった。披露宴も、「きょうは義理でお呼びした人はひとりもいません」と息子が挨拶していたように、本当に親しいひとだけの、手づくりの楽しい宴だった。派手でなく、もちろん豪華でもなく、そういう自然体の初々しい披露宴で気持ちよかった。これで3人すべて片づいて、何人かから、「荷が下りたでしょう」と言われたけれど、そんな荷は初めから担いでいないので、肩の軽さは変わらない。境内のもみじの新緑が初夏の光を浴びて瑞々しかった。

 そういえば、いま突然思い出したのだけど、私たちが結婚したのもちょうど今頃の季節だった。新婚旅行は海外なんかではなく、新緑の上高地から徳沢園を歩いて穂高に登ったのだったが、上高地の白いこぶしの花がきれいだった。山から下りて、白骨温泉に泊まった。そのころはまだ、白骨温泉は本当の温泉だった。
 妻と一緒に高い山へ登ったのはそれが最初で最後になったが、私はその前も後も、五月の連休はいつも穂高で過ごした。結婚して10年ぐらいは、ゴールデンウイークを家で過ごした記憶はない。正月もいつも、山かスキーへ行っていた。妻は子どもとお留守番。
 いままでいろいろな山に登って来たけれど、いちばん好きなのはやっぱり5月の穂高で、だから、いちばん好きな季節もいまなのかもしれない。
 
 誰にでも、忘れられない光景というものがあると思う。私は、学生時代に授業中、校舎の窓から眺めたまぶしい新緑が忘れられない。ちょっと寄り道をして、ひとより3年遅れて大学に入り、それも夜間部から昼間部へ編入したのが3年の時で、これは話すと長くなるので省くけれど、教室を途中で抜け出して欅の大木と話をしたのを覚えている。木と話をするなんて馬鹿みたいだけれど、いまでもときどきそういうことがあるから、私の馬鹿はいま始まったことではないのだ。
 若いサラリーマン時代は電車で通勤していて、いつも車内ではなにかしら本を読んでいたけれど、初夏の夕暮れ時だけはいつも車窓の外の遠くの景色を眺めていたような気がする。あれはなんだったのだろう。とにかくその時期の車窓から見える空はきれいだった。
 手を伸ばして電車の窓を開けたりしたこともある。そう、その頃は電車の窓が自分で開けられたのだ。開けるとぶわーっと新しい空気が入ってきてそれは気持ちよかったのだけど、座っている女性から睨まれもした。
 ビルの屋上のビアガーデンに通ったのも、今頃の季節だ。大ジョッキを何杯も飲んで、そのあと電車に乗ってもまだ友だちと大きな声でしゃべったり笑ったりして、「静かにして下さい」と注意されたこともあった。若いときはまわりが何も見えなかった。

 30代の頃はゴルフに熱中したが、プレーを終えたあと、クラブハウスのテラスに出て、陽が落ちて行くコースを眺めながら生ビールを傾け、仲間とその日のプレーを振り返る。それが至福のときだった。なぜかそれも初夏の夕暮れのシーンを思い出す。
 40代にはトライアスロンのレースで各地を回った。宮古島、徳之島、伊豆大島、佐渡、琵琶湖アイアンマン。フィニッシュして、もう何も食べる力さえ残ってないほど疲れ切っているのに、それなのにビールを飲んで、そのあとウイスキーも飲んだ。それも初夏の夕暮れだった。
 
 そしていま、土にまみれ、潮をかぶって汗をかき、明るいうちから露天風呂につかり、ビールを飲む。いや、正直白状すればビールは高価だからたまにで、この頃は発泡酒が多いですけどね。そしてそのあとはその日の気分で焼酎かウイスキーかの道をたどる。
 こう書いてくると、なんだかいつも飲んでばかりいるように聞こえるかもしれないが、そうです、ずっと飲んでばかりいるのです。(でも節度を守って朝からは飲みません)。
 
 昔から、朝日を眺めるのも好きだけど、朝は、さあきょうも一日頑張るぞという気持ちが働くのでのんびりできない。それに比べて、夕暮れどきは、ああきょうも仕事をしたな、という満足感があって、あとは思い切り背を伸ばすだけだから、カラダぜんたいが、そしてココロもゆるゆるに緩む。初夏の夕暮れどきは、そのゆるむ度合いがなぜかほかの季節より大きいような感じがして、それで好きなのだと思う。
 ことしも大型連休で観光地はどこもにぎわうだろう。わが家にもお客さんが大勢来る。でも私は、田舎で暮らすようになってからは、連休になってもどこかへ旅に出たいなどと思わなくなった。