essay
  平成17年7月1日 20
海を見ながら
思えば遠くへ来たもんだ
泣かないで・泣きなさい
 大工のつぐちゃんと飲んでいて、話題が、自分が死んだときの話になった。
 別にそれをテーマに飲み始めたわけじゃないんだけど、なんとなく流れで話がそっちのほうへ行っちゃったのだ。
「おれはね、自分が死んでも葬式なんかしてくんなくていいって言ってあるの。戒名なんかもいらない。お墓は神奈川県の厚木にあるんだけど、別にそこへ入れてもらわなくてもいい。骨は庭か畑に埋めて、灰は大村湾か、大村湾が難しいなら東シナ海にでも流してもらえばそれでいい。それで、ハイ、さようなら」
「でもさ、田舎じゃ、そうもいかないんじゃない」
「うん、多分そうだと思うけど、だから、そうなったときはほんとに親しかったひとだけに集まってもらって、まあ、お別れ会というかそういう感じでね。あくまで質素に。あ、そうそう、おれね、死んだらこの曲を流してと、テープに録ってあるの」
「え、それなんていう曲? おれも、自分が死んだときの歌、決めてあるよ」
「え、つぐちゃんも決めてあるの。まさか、ベートーベンじゃないよね」
「なんで?」
「大工だから、第九」
「は? 『泣かないで』っていう歌よ。館ひろしの」
「ああ、あの泣かないで、泣かないで…っていうやつ、あ、そうなの」
「金子さんは?」
「おれはね、喜納唱吉の『花』」
「川は流れてどこどこ行くの…」
「そう、泣きなさい、笑いなさい…。おもしろいね。つぐちゃんが泣かないでで、おれが泣きなさいかよ。同じ日に死んだら、弔い客は忙しいよ。あっちへ行って泣かないで、こっちへ来て泣きなさい。その上、笑いなさいだもん。のりちゃんなんか困っちゃうだろうね。ハハハ」

 ちなみに、つぐちゃんの誕生日は4月19日、私は4月20日、つぐちゃんの奥さんもうちの奥さんも同じ5月27日。ひょっとして終わりの時も同じ日になるかも。家族ぐるみのつきあいをしているから、そういうことがないとは言えない。一緒に焼酎を飲んでいるところへ飛行機が落っこちてくるとか。
 と、ここまでは夕べのバカっ話で、今朝、新聞を読んでいたら、フランス文学者の某氏が、「頼み難い人の運命」と題して、カミュのお墓を訪ね歩いたときのことをエッセイに書いていた。
 ご存じ、カミュといえばあの、『異邦人』を書いた作家で、私が敬愛する作家のひとりだが、そのノーベル賞作家のお墓が、南仏の小さな村の小さな墓地に、誰からも見捨てられたような感じでまるで無縁仏さながらにうずくまっていたというのだ。私はてっきり、パリはモンパルナスの墓地にあるものとばかり思っていたので驚いたが、そうだそれはサルトルの墓だった。
 「幅70センチ、縦50センチほどの平たい墓石で、その表にはただALBERT CAMUS 1913−1960とだけ刻まれている。しかも長年の風雨にさらされて、その文字ももはや定かではない。墓石を囲むラヴェンダーの茂みがせめてもの救いであった」
 カミュが、「おれが死んだらそうしてくれ」と言ったのかどうかは書いてなかったが、あるいは、質素な墓を望んだのかもしれない。私は、サルトルよりカミュの書くものの方がずっと好きだったが、このお墓の話を読んで、ああカミュのほうが好きでよかったなと思った。私も、もしお墓に入れられるとしたら、できるだけ質素な墓を望む。海か山で拾ってきた幅70センチ、縦50センチの石を1個置いてもらって。うん、下の畑の隅の、いま去年のこぼれ種で咲いているあのコスモスの辺りがいいか。
♪川は流れて どこどこ行くの
 人も流れて どこどこ行くの…