essay
  平成18年4月26日 25
海を見ながら
思えば遠くへ来たもんだ
消えたフィルム。
 友だちから古い8_映写機が送られてきた。
 手紙も何も入ってないので分からないが、動くから使うなら使ってみろということらしい。
 そうだ、確かヨーロッパアルプスへ行ったときの昔の8_があったはずと思い屋根裏部屋をかき回してみたが、どこへ紛れ込んだか見つからず、それとは別の懐かしいものが出てきた。写真の引き伸ばし機だ。
 暗室用具も一式揃っていて、使おうと思えばすぐにでも使えそうに見えるので、一瞬またやってみるかという気になったのだが、考えたらカメラがないことに気づいた。いや、カメラは何台か持ってはいるのだが、全部デジカメで、フィルム用のカメラがひとつもないのだ。
 
 初めて自分のカメラを手にしたのは東京オリンピックの年で、アサヒペンタックスのS2という機種だった。「ペンタックス、ペンタックス…」というコマーシャルがテレビに流れていて、「望遠だよ、望遠だよ…」とも言っていたので、200_の望遠レンズも一緒に買ってしまった。当時、山登りに熱中していたので山岳写真を撮り、やがて現像や引き伸ばしも自分でするようになった。その頃はまだ、カラーよりもモノクロ写真が一般的で、だから暗幕を張って部屋を暗くすれば割合手軽に四つ切りの引き伸ばしなども出来たのだった。
 結構、夢中になって、カメラマンになろうかと考えたこともあった。その頃撮した写真がいまもアルバムに残っている。たいした作品はないけれど、その場所へ行かなければ撮れない、思いの深いものはいくつもある。10年以上使ったペンタックスはロッククライミングの際にもいつも胸に下げていたので、フードも本体も傷だらけになってしまい、愛着はあったが諦めて、安売りをしていたキャノンのEOSに換えた。いまは、デジタル一眼のニコンのD70を愛用し、家のまわりで花や野鳥を主に撮り、パソコンに収めている。
 いつの間にか、デジタルに取って変わってしまったのだが、そういえば、「フィルムケースがないな」と気づいた。フィルムを買わないのだからその容器がないのは当たり前なのだが、実はこのフィルムケースとは昔から深いつきあいがあった。35_のフィルムが入ったプラスチックの容器は、硬貨がちょうど20枚入る大きさで、私はこれを貯金箱にしていた。
 まだ結婚前のことだったが、私は50円玉をこの容器で貯め、その貯まったお金で北海道の利尻岳に行ったりした。いくらあったかは忘れたが、お袋に布袋を縫ってもらいその中に50円玉の詰まったフィルムケースを入れ、道中すべて50円玉で通した。上野から電車を乗り継いで稚内まで行ったのだが、駅でも食堂車でも売店でも何を買うにも全部50円玉で支払い、ときに嫌な顔をされたりした。
 このフィルムケース貯金は、50円玉から500円玉に代わっていまでも続いていて、実は最近、フィルムケースがなくて困っていたのだった。で、さっき、急に思い立って机の引きだしをさぐってみたら、重いフィルムケースがぞろぞろと出てきた。全部ふたを開けて逆さにしてみたら、500円玉が山となって、数えたら12万2500円。さて、どうしよう。煮ようか焼こうか。

 いま、古いアルバムを引っ張り出して調べてみたら、カラー写真が初めてアルバムに登場したのは、結婚直前に妻とスキーへ行ったときのものだった。昭和44年。その前はすべてモノクロで、結婚してからもモノクロ写真ばかりだから、結婚前ということもあっておそらく、よほどフンパツしたのであろうことが伝わってくる。
 当時、カラーフィルムはまだ高嶺の花で、なかなか若い身分では手が届かなかったのだと思う。そのフィルムがいま、消えようとしている。
 もちろん、デジタルはデジタルでいいのだが、昔からフィルムカメラ、とくに暗室作業の楽しみを知っている者から見れば、これはなんとかならないのだろうかという思いがする。酢酸の匂いがする狭い真っ暗な押し入れの赤い電球の下、液に浸かった白い印画紙にうっすらと、そしてやがて濃く浮き上がってくる画像。別に怪しい写真ではなかったけれど、これはコーフンものだったし、そこには微妙なわざもいった。
 デジタルでは明るいところでパソコンがいとも簡単に処理してくれて、少なくともコーフンはない。心はときめかない。撮影するときだって、フィルムカメラの時は一発狙いの、「シャッターチャンス」というものがあったが、デジタルではいくらでも取り直しが効くから、そんな一瞬にかける喜びは薄い。
 そして、フィルムのモノクロ写真には特有の、「深みのある黒」というものがあった。「重みのある黒」というものがあった。デジタルでは黒は黒にすぎない。
 そういえば、いまの都会に、漆黒の闇なんかはない。夜でも明るいから満点の星などは見ることが出来ない。わが家へ遊びに来る東京の友だちが一様に驚くのが、星の多さであることもうなづける。田舎に移り住んで最初に私が驚いたのも、夜が暗いことだった。ただの暗さではなく、漆黒の闇。近くの山さえも見えない。明け方、その闇がやがてうっすらと明けて行く。印画紙に浮かんでくる画像のように、遠くの山々が薄く見えてくる。
 たとえば、いまは、直売所へ出荷する野菜でも形や色が整ってさえいれば、わー、きれいと喜ばれ、「深みのある味」なんて要求されない。ケイタイは持たないから知らないが、パソコンのメールでは、「重みのある言葉」なんか伝わらない。なんでも簡単手間いらずになって、「深み」だの「重み」だのはどこかへ追いやられ、ひとのココロさえ軽くなってしまったような気がする。そういう時代なのだろう。
 フィルムのない映写機が、カラカラ回っている…。