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平成22年1月20日 38 | |||||||||||
思えば遠くへ来たもんだ | |||||||||||
ゆめ。 ゆめが死んだ。 今朝、小屋の中で静かに死んでいた。 きのうは小屋から一歩も外へ出ず、餌にも手をつけず、夜になって妙な鳴き方をしたので見に行き、寝る前も小屋をのぞいたのだが、静かに寝息を立てていた。 16歳だった。老衰なのだと思う。獣医の白衣を極度に嫌うので、注射をしてもらうより静かに死なせてあげようと、あえて医者には連れて行かなかった。耳はほとんど聞こえず、足腰も弱って、ふらつきながらようやっと歩いていた。 長崎へ越してきてすぐ、隣町の材木屋からもらってきた。柴犬の雑種で、父犬は血統書付きだと言われた。何匹か生まれたうちの1匹で最後までもらわれずに売れ残っていた雌の子犬だった。 連れてきた何日間かは玄関で悲しそうに鳴いていた。「お手!」や「お座り!」を教え、食事の前の「待て!」や「ワン!」もすぐに覚えた。 千葉の集合住宅に住んでいた時は、規則で犬を飼うことは禁じられていた。だから、長崎へ行ったらとにかく真っ先に犬を飼おうと決めていた。犬を飼うのが夢だった。それで『ゆめ』と名付けたのだった。海を望む新天地で、私たちは『ゆめ』を追いかけた。 よその人が来ればよく吠えたので、いい番犬になった。子犬のころは、靴を隠したり、ゴルフボールをくわえて逃げたりしていたずらもしたが、性格は穏やかでおとなしかった。猟が好きで、とりわけもぐらを捕まえるのが得意だった。畑で見ていると、じっともぐらの穴に耳を傾けていて、一瞬の早業で捕まえるのだった。野鳥もよく捕まえたが、近所の人が飼っているアヒルをくわえてきたこともあった。放し飼いにしていたのであちこち歩き回り、ゲートボールの球をくわえて、あとから近所の婆さんが追いかけてきたりもした。田んぼでは、蛇もよく捕まえた。 ただ、子犬のころ、近所の子どもたちにいたずらされたのがトラウマになっていたようで、子どもが嫌いだった。ときどき現れる狸も苦手のようだった。 食べ物は、結構、好き嫌いがあって、ご飯や肉、魚、チーズ、牛乳などが大好物で飼い主の残り物は喜んで片づけてくれた。一方、果物や野菜が嫌いで、そう、ドッグフードをあげると、よほど空腹になるまで食べなかった。 16年もいれば、よく言われるように家族と一緒で、これからのことを思えば寂しい限りで、愛犬がいない暮らしは想像がつかない。この事実を受け入れるまで、少し時間がかかるかもしれない。 今朝も、「ゆめちゃんが死んじゃった」と言ったきり、妻は鼻をずるずるさせるばかりだし、私も何も言葉が出ない。ふたりで黙ってご飯を食べた。そっと妻を見れば、泣きながら豆腐の味噌汁をすすっている。私のご飯には涙が落ちた。 ゆめがいちばん好きだった場所が庭の南側の片隅にあって、たとえば骨付きの肉をあげればそこへ持って行ってかじったり、自分の宝物のがらくたをそこへ集めたりして秘密基地のようにしていたので、そこに穴を掘って葬った。イノシシの大きな肉の塊と、サラミとソーセージと、チーズを一緒に入れてあげて、花を添えた。 「ゆめちゃん、ありがとうね」と妻がまた泣いた。私が土をかぶせた。 午後から、雨になった。私は傘をさして墓を見ている。供えた水仙が濡れている。 |