essay | |||||||||||
平成16年4月6日 6 | |||||||||||
思えば遠くへ来たもんだ | |||||||||||
敗れざる者たち 4月の朝は気持ちがいい。 今朝は花を揺らす風もなく、穏やかな海に鮮やかな朝日が昇ってきた。 冬は右手の南の方、夏は左手の北の方から朝日が昇るが、いまは正面から大きな太陽が上がってくる。こんな朝はじっとしていられない。ちょっと走ってこよう。妻が目を覚ますまでまだ、10kmぐらいの時間はあるし。 坂道を下っていくと小学校に出る。そこに桜の並木道。いまがちょうど満開だ。これなら入学式までなんとか持ちそう。早咲きの桜でなくてよかったよなあ新入生。たった6名しかいないんだもん。せめて満開の桜で祝ってあげたいよ。 桜のトンネルをくぐって山道を上る。この時期、山道を走ると普段は気がつかなかった思わぬところで桜に出くわす。田舎には咲いて初めて気がつく桜がいくつもある。4月初めの早朝ジョグはそんな思わぬ発見が楽しい。足を伸ばして地域で評判の老桜を見に行くと、早咲きの桜はもう葉桜になりかけていた。 『葉桜の季節に君を想うということ』なんていうしゃれた名前のミステリーがあったが、朝の桜には夜桜のような怪しさは微塵もない。桜は花もきれいだけれど、新緑の葉も清々しい。 そう言えばまだ、お花見をしていなかった。忙しかったり、このところ寒い日も続いていた。そうだ、きょうこそお花見をしよう。我が家の庭の桜も、もう触れなば落ちんのキワドイご様子じゃないか。 それはいいとして、どうしてこう膝が痛いのよ。もう、いい加減よくなってくれてもいいんじゃないか。まあ、昔走りすぎたツケと、いま歩かなくなったツケが溜まったと言われれば言い返すすべはないけれど、それにしてもツライ。痛みもツライが、走りたくて走れないことがもっとツライ。悪友がレースへの誘いをかけてくる。レースの結果を知らせてくる。 レースから遠ざかってもう、どのくらいになるだろう。3年か、いや4年になるか。 あきらめが悪く、まだ細々と練習らしきことは続けているけれど、レース復帰への希望は持てない。だんだん気力も萎えてくる。もう走れないのだろうか。 昔読んだ沢木耕太郎の、『敗れざる者たち』を思い出す。元プロ野球選手。打撃の名手。引退してずいぶん経つのに、走り続ける…。まだやれる…。 男の引き際、散り際。これはムズカシイ…。 桜の下にござを敷き、花を見上げる。妻が料理を運んでくる。 「何を飲みますか」 「ビール」 「そのあとは」 「酒」 お花見にはやっぱり日本酒でしょう。日本酒じゃなけりゃおかしいよ。だって、お花見なんだからさ。 桜を眺めて酒を飲み、酒を含んで花を見る。 天気は快晴。真っ青な空に、薄桃色の桜が映える。花の蜜を吸うミツバチの羽音がびいびい。聞こえるのはそれだけ。郵便屋も通らないふたりだけのお花見。ひっそりしているけれど少しも寂しくはない。天気がよくて、花がきれいで、酒と料理がうまけりゃ、それでいい。ほかに何もいらない。 昼から少し風が出た。ひらひら、ひらひら、花びらが舞う。 卵焼きの上に花びらが落ちる。モズクの中にも落ちた。杯の中に落ちれば風情があるのにと思っていたら、入った! 「うわっ、見て、見て」 ほとんど白に近いほんのりとした薄桃色の花びらの、付け根の部分だけがピンク色。酒の上に浮かんだ桜の花びらをじっくり眺める。桜は散るから美しい。その散り方が潔い。ひらひら、ひらひら。きれいな花のまま散っていく。椿なんかこうはいかない。ぼたっと落ちる。 趣味は何ですかと聞かれるのが、この頃はつらくなってきた。昔は、少し胸を張ってトライアスロンですと応えた。それが誇りだった。 いまは、応えられない。未練がましく、「練習はしてるんですけど」なんて言うことがあって、そんな自分が情けなくなる。まだ、やめました、とも言いたくない。 散り際を迷っている。 サクラチル 酔ってごろん ござの上。 |