自給自足 半農半漁 晴耕雨読 の物語 |
自給自足で 自然に暮らす |
人生の楽園 |
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16 そばを打つ (石臼をひく) 「江戸っ子だってねえ」「そうよ、神田の生まれよ」 ぼくは、神田の生まれではないので威張れないのが悔しいのだけれど、東京田端の生まれだから、一応、江戸っ子の端くれということにさせてもらっている。江戸っ子と言えばそば好き。ぼくも、ご多分に漏れず、そばっ食いである。 琴海町には、そば屋がない。あるのは、うどん屋だ。うどんも嫌いではないが、毎日食べたいとは思わない。そばなら、毎日でもいい。 そば屋で飲む酒というのがまた、いいんだな。これを話し出すときりがないからやめるけれど、とにかく、そばと酒のない人生は、ぼくには考えられない。もし、「そばも酒もどうも」という人がいたら、ぼくはその人とはお友だちになりたくない。 町にそば屋がないから、自分で畑にそばを植えている。 ぼくは、料理は一切しない男だが、唯一、そばだけは例外。そばは、自分で打つ。 「挽きたて、打ちたて、茹でたて」。これが、うまいそばの三原則。 これだけは、妻にはまかせられない。 |
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田舎へ越してきたとき、どうしても欲しいと思った物がある。石臼だ。 ある農家の片隅に転がっている石臼を見かけ、でも露骨に欲しいとも言えず、その人の家に行くたびに目で訴えていたら、ある日、やっとその執念が伝わって、「持って行っていいよ」と言われた。何事も強く願っていればかなう、というのが、ぼくの座右の銘なのだ。 この作戦で、ぼくはいままでいろいろな「お宝」を手に入れてきたが、最近、これがみんなに読まれてきて、「金子さんに睨まれたら持って行かれるぞ」と、警戒されるようになってきた。 壊れていた石臼の取っ手を修理し、使ってみると、これがなんとも気分がいい。右手でゆっくりゆっくり回しながら、左手でそばの実を少しずつ入れて行くと、二つの石の間から挽かれた粉がこぼれてくる。そばの香りが漂ってくる。疲れたら休んで、また回す。このゆったりしたペースが、うまさをつくっていくのだな、ということが手に伝わってくる。 実際、機械で大量に挽くと熱を持つので、それが本来の味や香りを失わせると言われているが、これは米だって同じ。コンバインで刈り取り、乾燥機にかけて素早く精米してしまう米は、「うまくない」ことは農家の人なら誰でも知っている。 なんでも効率、なんでも経済優先で、おいしさという心の豊かさを捨てて来てしまった人たちを、ぼくは、かわいそうだなあと思う。 |
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この辺でも、そばを植える人はもう、あまりいない。韓国産のそば粉を買った方が手間も省けるし、安いからだ。ぼくも、昔は韓国産のそばで何も違和感を感じていなかったのだから、いい加減なものだ。でも、自分で植えたそばを、自分で挽いて食べてみたら、違いがハッキリ分かる。 食べ方は個人の勝手だが、ぼくはやっぱり、チョンとつけてバッと素早く食べるのがいい。びちゃびちゃに汁につけていつまでもぐちゃぐちゃ食べているのを見ると、気持ち悪くなる。 石臼で挽いたそばは、どうしてか色が黒っぽい。なかなか白くはならない。 「そばは二百十日から二百二十日の間に植えろ」と、近所の人から教わった。 秋風が吹き、やがて芽が出て花が咲き、12月初旬に刈り取る。黒い実がいっぱいなる。そばは、やせた土地にでもよく育つ。肥料がいらないので、ぼくらのようなずぼら百姓には、まさにうってつけ。 白いそばの花は清楚でいい。派手でなく、風に揺れる姿には物静かな優しさがある。36年前の妻は、そうだったような気がするが。 |
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東京の友人にも、そばっ食いがいる。金澤はもともとそば屋の息子だし、石綿は石臼まで買い込んで、「蕎麦道」を追求している。リストラにあったら、そば屋を開業するかもしれないほどの入れ込みようで、金子農園に専用の一角を確保している。内田も高価な道具一式を揃え、ひとり悦に入っている。どうも、そばには、不思議な魔力があるようだ。なんでだろう。 昔、ある女性とデートしたとき、そば屋に入って、「ぼくはもりにするけど、きみは何にする」と聞いたら、しばらく考えて彼女は「私も、もりでいい」と言った。ぼくは安さでもりを選んだのではない。もりがいちばん好きなのだ。 でも、もしかしたら彼女は、天ぷらそばか、かもせいろでも食べたかったのかなとあとで思い、後悔した。ぼくはふられたが、ひょっとしてそのときのもりが、いけなかったのかもしれない。 「カレったら、もりしか食べさせてくれないのよ」 「やめちゃいなさいよ、そんなケチな人」 |