自給自足
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物語
自給自足で
自然に暮らす
人生の楽園


   17 パンを焼く (うどんも打つ)
 パンは、妻が焼く。ぼくは焼かない。
 妻は、パンも焼くが、ときどき、年甲斐もなく焼き餅も焼く。
 ぼくは、オバサンは嫌いで、若い子が好き。これは別にいま始まったことではなく、昔からそう。昔からオバサンは嫌い。ただし、オバサンの中にも嫌いじゃない人もいる(ヤバイからな)。
 ぼくは、「若い子と話すとき声まで変わる」んだとか。妻がそう言う。「いいじゃないの、いまさら何もできるわけじゃなし」。ほんと、女は馬鹿だと思う。いや、女はではなく、「妻は」と言い換えます。 
 さて、パンだ。
 妻に話を聞こう。
 「パンを焼くのは難しいの?」
 「なんで。自分で焼きたいの?」
 (これだから、イヤなんだ)。
 「いや、ただ聞いてるだけ」
 「あ、そう。難しくなんかないわよ。やってみる?」
 「やらないって言ってんだろう。何と何を入れるの」
 「強力粉とイーストと砂糖と塩、それにバター、またはオリーブオイル、あとは水かぬるま湯」。
 「それをどうすんの」
 「20分ぐらい手に着かなくなるまで、叩いたり、こねたりする」
 「バタン、バタンと叩いているやつがそれか。なんで叩くの」
 「なんでって、パンは叩くって決まってるからよ。それを丸めてボールに入れてラップをして夏場は30分、冬場は1時間ぐらい、一次発酵させる。そしてね、2倍ぐらいにふくらんだらガス抜きをして、丸めて形づくりをしたあと、天板にのせてふきんをかぶせ二次発酵させるの。時間は夏は30分、冬は1時間。食パンなら180度で30分、バターロールのような小さい物だったら180度で10分から15分、オーブンで焼くの。分かりましたか?」
   買ったパンは、白くて柔らかいが、自家製パンは、黒くてズシリと重い。かむと味がある。友人が、長崎市内で評判のパンを並んで買ってきてくれた。ひとくち食べたら、ほんと、ふっくらして甘くておいしかった。でも、わるいけれど、ひとつで十分だった。
 妻は、なんでも、イチから始めないと気が済まない性分。昨年まで、小麦は買っていたが、それが不満だった。そして一昨年、九州では育たないと言われていたパン用の南部小麦を取り寄せて植え、種を増やし、昨年それをまいて、今年の春、とうとう自家製の粉をつくりあげた。いま焼いているのは、その自家製南部小麦のパン。
 そば粉を混ぜたり、ごまを混ぜたり、あるいはローズマリーやタイムなどのハーブを入れて、「君子オリジナル」を焼き上げ、人に食べさせるのを楽しみにしている。
 うちのパンを食べて、まずいなんて言ったら、殺されますぜ。
 ぼくはいま、石窯をつくってくれと、せっつかれている。誰か、耐火煉瓦を安く分けてくれる人、いないかなあ。
 うどんも、妻が打つ。
 ぼくは、そばは打つが、うどんは打たない。うどんは食べるだけ。
 うどんは、中力粉を使う。これも、もちろん自家製。石臼で挽く。
 石臼で挽いた粉は、そばと一緒で黒っぽい。
 おふくろが、うどんを打つのが上手だった。小さい頃、横でよく見ていたので、手つきを憶えている。麺棒にまいて、トン、トンと前に送り、スーッと手前に引く。そのリズミカルな動きを見ていると、なぜか決まってお腹がすいてくるのだった。 
 昔は、この辺でもみんな小麦をつくっていたと言う。米と小麦の二毛作。いまはもう、誰も小麦を作る人はいない。「面倒かもんねえ」というのがその理由。うちの麦畑を見ると、だから、みんな驚く。
 米も、そばも、小麦も、みんなつくらなくなってしまった。日本人は、一体、どうなっちゃったんだろう。
 ぼくは1回も行ったことはなかったが、集落の入り口に、1軒だけスナックがあった。店の名前が「麦畑」。前を通ると、いつもカラオケの歌声が聞こえてきた。
 今年の夏、店を閉じた。