自給自足
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人生の楽園


   18 味噌、醤油をつくる (東京の味、長崎の味)
 自給自足の暮らしだから、味噌、醤油もつくる。
 味噌は、千葉にいたときもつくっていたので知識はあったが、醤油は初めて。
 ただ、長崎の味噌は白い麦味噌で、千葉では赤い米味噌だった。
 麦味噌の作り方は、隣のバアチャンから教わった。
 <麦味噌のつくり方>
 大豆を一晩、水に浸す。翌日、指でつぶせるくらいまで柔らかく煮る。大豆と塩と麦麹を混ぜ、石臼でつく。それを空気が入らないようにして容器につめる。麹はもちろん自家製だ。
 この麦味噌は、1ヶ月で食べられる(関東では、1年から3年は寝かせる)。
 仕込む時期も違う。
 長崎では、8月から9月に仕込む(関東は12月から2月の寒仕込み)。
 大豆と麹の比率も違う。
 長崎は1対4(関東は1対1)。
 この違いに、妻は、ずいぶん戸惑ったと言う。
 ぼくは味のことしか分からないが、麦味噌は、米味噌とくらべたらかなり甘い。ただ、砂糖の甘さではなく、麦の甘さなので、食べられないということはない。最初のうちは違和感もあったが、いまでは慣らされてしまっている。
   味噌に対する感覚も、東京と長崎では違うものがある。
 麦味噌も、最初のうちは白いが、1年ぐらい経つと赤い色に変わってくる。そうすると、こっちの人は、古味噌と言って嫌がるのだ。1年で古味噌はないだろうと、ぼくなんかは思うのだけれど、その古味噌はみそ汁には使わず、みそ漬けなどにまわしてしまう。そしてすぐまた、新しい味噌を仕込む。味噌は新しくなければだめなのだ。
 「畳と女房」は、ぼくも新しい方が断然いいと思うけれど、「味噌とワイン」は寝かせたやつほどうまいと思うけどなあ。
 そういうわけで、長崎の味噌についてはまあまあ許せるんだけど、醤油となると、これは許せない。絶対、許せない。なんと言われようと、許すわけにはいかない。
 初めて長崎で刺身を食べたときのことを、ぼくは、いまでも忘れない。釣りたての鯛の刺身だった。ちょこんと山葵をのせて、ちょんと醤油につけて口に入れた。次の瞬間、ぼくは吐き出した。「ペッ、ペッ。なんだこりゃ」。
 甘いのだ。
 大好物の刺身を前にして食べられないという悔しさを何度も経験し、以来、出掛けるとき、ぼくは小さなポリ容器に移したわが家の醤油をポケットにしのばすようにした。
 そんなぼくを見て、保育園の園長がこう言った。「わしも東京へ行ったとき、料理屋で刺身を注文したばってん、醤油が辛うして食べきらんかった」「東京の醤油は、醤油じゃなか」。
 ぼくは、長崎の醤油は醤油じゃないと思っているので、東京や千葉の友人から送ってもらっている。一度も、こっちでは買ったことがない。
 刺身は、やっぱり、東京の醤油で食べたい。
 納豆も、東京の醤油で食べたい。
 生卵も、東京の醤油で食べたい。
 自家製醤油は、昨年11月に初めて仕込んだ。そろそろ汲み出してもいい時期なのだが、なんだか、期待半分、怖さ半分で、まだ味わっていない。さて、どんな醤油ができているだろうか。