自給自足 半農半漁 晴耕雨読 の物語 |
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人生の楽園 |
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20 もちをつく (角もちと丸もち) 「21世紀に残したい日本の音風景」というような企画がどこかであったような気がするが、もしぼくにも何かひとつあげろと言われたら、ぼくは、「もちつきの音」をあげたい。 もちつきの音、みなさん聞くことがあるだろうか。もちろん、子供の頃聞いたと言う人は大勢いるはず。でも、最近はおそらく聞かないだろう。この辺の田舎でさえ、聞くことはないのだから。 子供の頃、暮れも押し迫ったある朝、もちつきの音が聞こえると、「あっ、もういくつ寝ると」と、正月を意識した。わが家では、もちつきは12月の28日か30日と決まっていた。「く(9)もちはつくな」なんて言葉も、小学生の頃から覚えた。 せいろでむしたご飯をドサッと臼にあける。それを少し手にとり、塩をパラッとふって、「うまいぞ」と親父が渡してくれる。かためのご飯は、本当にうまかった。 |
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もちつきの音は、遠くからでも聞こえる。 子供の頃、ぼくは東京の世田谷に住んでいたが、近所のあちこちから、もちつきの音が聞こえた。それが、いつの頃からか、聞こえなくなった。杵と臼は機械にとって変わった。 この辺の農家も、いまはみんな機械でもちをつく。「簡単でよか」と言う。 でも、「そりゃあ、臼でついたもちのほうが、うまか」と、味までは忘れていない。 ある朝、音を聞きつけて保育園の園長が、のぞきに来た。「保育園でもやりたいから貸してくれんね」。以来、保育園の年末行事になった。 もちつきをなつかしむ人は多い。 友だちに声をかけると、集まってくる。若い人は慣れてないから、ハプニングも起こる。 自分の分は自分の米を持ってこいと言ったら、もち米ではなく、うるち米を持ってきた女性(既婚)がいた。 思い切り石臼のフチを叩いて、杵をぶっ壊したやつがいた。 つき終わったもちを臼から取り出して運ぶ際、ボタッと地面に落としたやつもいた。 せいろを燃やしたやつもいる。(いい加減にしろよ、お前ら)。 |
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若い連中が来ても、大概、役には立たない。 結局、彼らの分までこっちがつくことになる。 もちつきは、一見やさしそうに見えるかもしれないが、慣れないと余計な力ばかり入って、すぐ息が上がってしまう。もちを返す相手とのコンビネーションも大事。息が合わないとつけない。 「よいしょ」「こらしょ」、 「ほいさ」「ほいきた」、 「まだか」「まだまだ」、 「どっこい」「どうした」…。 妻と一緒にやるのが、やはりいちばんリズムが合って疲れない。 |
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妻とは、もちつきでは息が合うが、もちの形になると意見が合わない。 九州出身の妻は、「もちと言えば丸もちでしょう」と主張する。子供の頃から、丸いもちを食べてきたと言って、すぐ丸めてしまう。 「バカヤロ、もちは四角に決まってんだろ。角のねえもちなんか食えっか」 かくて、毎年、二種類つくることになる。 丸もちは、当然、妻が丸める。角もちは、四角にのしてから、ぼくが自分で切る。形と大きさにもこだわりがあるので、九州女にはまかせられないのだ。 正月の雑煮も、もちろん、別々。 敵の雑煮は、ハクサイやら鶏肉やら海の幸など、とにかく具が一杯いっぱい入っていて、見て気持ち悪い。おまけに丸もちをナマで入れる。オエって感じ。 こっちの雑煮は、鰹節と鶏肉でだしをとって、具はコマツナと蒲鉾だけであっさりしたもの。もちは、モチろん焼いた角もち。上品である。 結婚して30何年。どっちも譲らない。 元旦の朝は、一応、「あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします」とお互い挨拶して、新しい気持ちで新年をスタートするのだけれど、その数分後の雑煮から、わが家の戦いは始まるのだ。 それにしても、九州の女はなんて頑固なんだ。 |