自給自足
  半農半漁
     晴耕雨読
       
物語
自給自足で
自然に暮らす
人生の楽園


   22 漁師になる (漁業権を得る)
 ♪上野発の夜行列車 おりた時から
   青森駅は 雪の中…
 長崎でも、1月、2月の厳冬期には、ときに風雪が舞う。そんなとき、海で漁をしていると、思わず演歌が飛び出す。寒さで手が凍え、歌でも歌わないとふるえが止まらないのだ。
 ぼくは、普段、カラオケもしないし、演歌を口ずさむこともないのだけれど、このときばかりは、知ってる限りの演歌をがなってしまう。大体は、でたらめだけど。
 そして、そういうときこそ、「おれも、漁師になったんだ」と、実感する。
 なぜかぼくの漁師に対するイメージは、寒い、北国、風雪、演歌、荒くれ男ということになっていて、普段の温暖で静かな大村湾では、どうも漁師になった気がしないのだ。
 だって、そうでしょう。
 ♪去年のあなたの想い出が
   テープレコーダーから こぼれています
 さだまさしの精霊流しじゃ、魚も逃げちゃうでしょう。
 ま、それはともかく、いま、ぼくは百姓であると同時に、漁師もやっているわけです。
 田舎暮らしを決意し、いまの土地を選んだとき、「絶対、漁師になるぞ」と即座に決めました。なぜかよく分からないのだけれど、もともと漁師という言葉に憧れていたし、なにせ海が目の前ですからね。だから、すぐ船の免許を取りました。その時はまだ会社に勤めていましたから、通勤の途中の電車の中で勉強し、「四級小型船舶操縦士」の資格を取ったのです。無線の免許も取りましたが、これは無駄でした。
 移住してすぐ、船を買いました。
 漁師になるには、漁業権を入手して漁業組合の会員にならなければなりません。
 すぐ、入りたい旨を伝えたのですが、琴海町の漁業組合は、組合員数が決まっていて、一人の欠員が出なければ、一人の入会が認められない決まりになっています。ひとつの権利ですから、なかなか手放す人はいません。結局、ぼくは4年間待たされて、やっと漁業権を入手できたのです。漁業権は、「ン十万円」で購入しました。
 
 漁師になって分かったのですが、ぼくは、性格的に漁師に向いていたようです。百姓も嫌いではないけれど、どっちかと言えば、漁師の方がおもしろい。ぼくは、生来、性格が短気。
 百姓は、畑を耕し、肥料をやり、種をまき、実がなるまで何ヶ月も時間がかかります。 それに比べ、漁師は仕事が早い。網を入れて、翌朝上げればお仕舞い。魚がたくさん入っていれば笑い、入ってなければあきらめる。草払いをすることもないし、肥料もいらない。何ヶ月も待つこともない。ハッキリしてていい。
 それに、これは偏見かもしれないけれど、百姓より漁師の方が明るく、豪放磊落な人が多い。「おれは百姓だ」と言うより、「おれは漁師だ」と言った方が、なんかかっこいいような気がする。いいカッコしいのぼくにはピッタリなのだ。
 大村湾は、静かな内海なので、マグロとかブリとかの大きな魚はいないが、四季を通じていろいろな魚が捕れる。魚種は豊富。
 それと、外海のように荒れることが少ないので、安心感もある。
 湾だから、仮にエンジンが故障して動けなくなっても、数時間もすればどこかの岸に流れ着く。風がなければ、櫓をこげばいい。
 同じ長崎でも外海の漁師は怖いよ。エンジンが故障すれば、1ヶ月も漂流して、千葉の銚子沖まで流されちゃうんだもんね。
 冬の海に漁師を実感すると言ったけど、もちろん、春、夏、秋、いつだって海はいい。
 不漁のときは黙ってすごすごと港へ帰るけれど、大漁の時は、ついつい鼻歌もでる。
 ♪波の背の背に ゆられてゆれて
   月の潮路の かえり船