自給自足
  半農半漁
     晴耕雨読
       
物語
自給自足で
自然に暮らす
人生の楽園


       29 花を愛でる (花暦)
 花について、ぼくは語る資格はない。花については、何も知らないからだ。
 昔、山に登っていた頃、高山植物について、少しだけ調べたことはある。ウスユキソウ、コバイケイソウ、チングルマ。北アルプスや南アルプスの岩壁登攀の途中、可憐な花に目を移したことはあった。恥ずかしながら白状すれば、ぼくは、1967年夏、ヨーロッパ・アルプスの登山に遠征し、マッターホルンに登頂した翌日、当時つきあい始めたばかりの一人の女性に、エーデルワイスの花を贈った。それがいまの妻で、そんなことをしなければ、今頃、ぼくはもっと違う人生を歩んでいたかもしれない。もっと幸せだったか、あるいは不幸だったか、それは分からないけれど、少なくとも、長崎の片田舎で百姓にはなっていなかったとは思う。
 
    
 ぼくは、高山植物以外は、花にはまったく関心がなかった。サラリーマン時代、一度だけ、妻以外の女性に、バラの花束を贈ったことがある。いまでも、あれはちょっとキザだったなと思う。(妻には内緒)。
 一方、妻は、花狂い。花さえあればほかに何もいらない、というほどの花好き。
 庭にも畑にも、とにかく少しの隙間さえあれば花を植える。それはまだ許せるのだけれど、部屋の中にも花を置きたがる。ぼくは、部屋は広く使いたい。余計なものは置きたくない。スッキリしておきたい。ところが、油断していると、いつの間にか、花が置いてある。ぼくにとって、室内の花は余計なもの。だから、放り出す。しかし、いつの間にかまた、置いてある。その繰り返し。妻しぶとい。

 金子農園を人生の楽園と言うのは言い過ぎだけど、花の楽園と言うのなら、そうかもしれないと、うなずいていいかもしれない。花の数を数えたらおそらく、100や200ではきかない。
 花を知らないぼくが数えても、これだけある。
 1月。梅、水仙。
 2月。梅。(ぼくは梅が好き)。
 3月。桃。桜。ライラック。沈丁花(好き)。
 4月。ユキヤナギ。チュウリップ。アイリスほかいっぱい。ミカンの花も。
 5月。花菖蒲。シャクヤク、キウイ。セイジ(好き)。ボリジ。カモミール。
 6月。アジサイ。月下美人。夜の女王。
 7月。月見草。ノウゼンカズラ。
 8月。ひまわり。ムクゲ。
 9月。彼岸花。秋桜(好き)。玉すだれ。
 10月。キンモクセイ。菊。ソバ(好き)。ススキ。フジバカマ。
 11月。ホトトギス。
 12月。サザンカ。
      この頃、少しだけ、花に目がいくようになった。心に余裕が出来たからかなと思う。
 サラリーマン時代は、花が咲いていても気がつかなかった。忙しくて、それどころじゃなかった。いまは、花の香りで季節を感じる。
 梅の香りに「ああ、今年も…」と1年の始まりを意識する。
 沈丁花は「親父の葬式の時、庭で匂っていた。もうお彼岸か…」。
 桃「春だなあ」。
 桜「日本はいいなあ」。
 アジサイ「梅雨か…」
 彼岸花「台風が来ないで…。稲が倒れないで…」
 秋桜「秋だなあ…」
 
       夜の女王  下校途中の小学生が、遊びに来た。庭にキンモクセイが咲いていた。
 「なんか、トイレの匂いがする」と言った。トイレの芳香剤と同じだと言うのだ。
 その翌日、「テレビで見たから」と言って、見知らぬオバサンが訪ねてきた。庭から下の海を見て、「うわー、きれいな色。バスクリンみたい」と言った。
 ぼくは、こういう子供や、オバサンが可哀相に思う。