自給自足
  半農半漁
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物語
自給自足で
自然に暮らす
人生の楽園


3 五右衛門風呂 (薪割り、風呂焚き)
 来る日も来る日も、開墾作業は続いた。
 1ヶ月過ぎてもまだ、半分も進まず、いい加減疲れ果てていると、区長をしている佐藤さんがやってきた。
 「よう、気張るなあ。足腰が痛かろう」
 「いや、でも、だんだん開けていくので、楽しみですよ」
 「そりゃ、楽しみばってん、大変よ。うちの息子がきょう、暇のできたけん、ユンボを持ってきてやってやる言うとった」
 と、そこへ現れたユンボ。
 「これでやれば、簡単よ。ま、そこで休んで見とって」と言うが早いか、バリバリッ、ガーッ、バキバキッ」
 あらら。
 結局、その日と翌日の2日間で、きれいさっぱり片づいて、開墾終了。  
 現代における開墾作業とは何か、そして開墾の苦労と喜びとは、という深い命題も残ったが、「ま、簡単なほうがいっか」と、拍子抜けした頭で安易な答えを引きだし、翌日から薪づくり。
 薪は風呂用。自給自足の暮らしには、やっぱり、燃料もできるだけ自給しようということで、風呂は薪で焚く五右衛門風呂にしたのだ。
 大量に切り倒したハゼの木をチェーンソーで細かく刻み、太い丸太は薪割りで割る。この薪割りが、疲れるけれどまた楽しいんだな。
 薪割りをしていると、なぜかまた、ぼくは西部劇を思い出すのだった。小学生か中学生の頃見た映画だから、記憶は定かではないが、『シェーン』という映画の中で、確か、アラン・ラッドが薪割りをしていたように思う。チャールス・ブロンソンも、どこかで裸になって薪を割ってたはずだ。盛り上がった筋肉に、「スゲー!」と驚いた記憶がある。
 薪割り、風呂焚きは、初めからぼくの当番で、だからいまではこの二つは、ぼくの得意技になっている。
 薪割りも、風呂焚きも、昔の人は経験した人が多いが、いまの若い人は、どちらも知らない人が多い。試しにやらせてみるが、できない人がほとんど。
 五右衛門風呂も、知らない人が多い。
 ある時、NHKの若いアナウンサーが遊びに来て、泊まっていくというので風呂に入れたら、「金子さんちの風呂はアッツイですねえ」と言うから、聞いたら、敷き板を敷かずにそのまま入ったとのこと。「足が底に着けられないから、頭と手と足を外に出して体を浮かせて入ってきた」と、目を丸くしてたので、妻と大笑いしたのだった。