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       34 丸太小屋を建てる (ログハウス)
 田舎暮らしをしようと決めたとき、家はログハウスにしたいと思って、都内のログハウス展示場をあちこち見て回った。ところが、見て回っているうちに、ひとつのことに気がついた。それは、「ログハウスというのは、やはり北国向きの家だな」ということ。
 密閉性があるかわりに、開放感が少ない。丸太ゆえの圧迫感もある。
 木のぬくもりという魅力は捨てがたかったが、結局、暖かい九州には向かないかなと思ってあきらめ、家は木造の和風住宅に切り替えた。多分、これは正解だったのではないかと思う。九州でログハウスに住んでいる人には申し訳ないけど。
 しかし、ログハウスの魅力捨てがたく、「そうだ、作業小屋を丸太でつくったらどうだ」と考えた。『夢の丸太小屋に暮らす』という雑誌があって、それをずっと愛読し、「いつか、おれも自分の丸太小屋をつくるぞ」という夢を持っていた。
 ある時、炭焼きの師匠から、「いま、道路建設のための伐採をしているんだけど、檜の間伐材がいっぱいあるから、切りに来たら」と電話が入った。「ハイ、すぐ行きます」の二つ返事で、ぼくはチェーンソーを持ってすっ飛んで行ったのだった。
    隣町まで軽トラで何度も往復し、丸太を切っては運び、切っては運びして、汗みどろになって皮をむいた。
 基礎だけは専門家にまかせたほうがよいと本には書いてあったが、すべて自分でしたかったので、基礎も自分でやった。いつかそういう日が来ると思って、それまでに、土木作業のアルバイトに何度も行って、勉強もしていたので、まったく、「ノー・プロブレム」だった。「なんだって、やりゃあ、できるのよ」。
 生コン打ちも、ブロック積みもお手の物。きっちり、水平も出ている。柱も立ち、棟もひとりで上げた。左の写真は、「おれも、たいしたもんだ」と自画自賛しているところ。
 棟上げの日には、ちゃんと御神酒で祝った。飲むことだけはいつだって忘れない。
 
 手に入った丸太が細くて短かったので、「ピースエンピース」という工法で建てることにした。これは指導書を見れば出ているので、すぐ理解できる。とは言っても、細かいところまでは分からないので、隣町に建築中のログハウスを見に行き勉強させてもらった。
 壁は、同じ方法で丸太を刻んで積んでいくだけだから、さして難しくはないのだけれど、手間はかかる。その手間を楽しめる人にはいいが、それを「面倒くさい」と思う人には、ログハウスづくりは向いていない。丸太がだんだん高く上がっていくに連れ、気分も高揚していく。
 
      高い屋根の上での仕事は、さすがに体の一部が涼しくなるが、ぼくはもともとロック・クライマーだから、バランスの取り方は体が知っている。とは言っても、本職の大工みたいに、柱を担いで棟の上をひょいひょいと軽く歩くような芸当はできない。ついついへっぴり腰になってしまう。それでも無事、屋根も上がって小屋らしくなった。
 屋根材は高価なのでどうしようかと迷っていたら、近所のクンちゃんが、「うちの庭に置いてある瓦を使っていいよ」と声を掛けてくれた。
 窓は、佐世保のヤマちゃんが、「いらないサッシがあるよ」と言ってくれた。
 ドアは、保育園の園長の倉庫からもらってきた。ドアは大きくてサイズが合わなかったが、なに、雨さえ降り込まなければいいので、見た目は気にしない。
 そうやって、みんなに優しくしてもらって、ついに夢のログハウスは完成した。
 かかったお金は、生コン代だけ。あとは、すべてもらいものと、拾いものでできた。
  
         小学生に、「将来なりたい職業」を聞くと、いまだに「大工さん」が上位にくるという。ぼくも、いま同じ質問をされたら、ちょっと迷って、「大工さん」と答えるかもしれない。ちょっと迷うのは、いまは漁師がおもしろいから。それくらい、大工仕事もおもしろい。小さな丸太小屋ひとつで、ぼくはすっかり目覚めてしまった。
 友だちにも似たようなやつがいる。Jちゃんは枕木でいま家を建てているし、Hちゃんは古い電信柱で大きな小屋をつくっちゃった。Y君は山の中に本格的なログハウスを自分で建てた。うちの息子は、石で家をつくると言ってるし。
 ところで、折角、自分の隠れ家用につくった丸太小屋なのに、「これ、私の作業小屋に欲しい。ゼッタイ欲しい!」と妻が騒ぎ出した。
 「お父さんは、夜はお酒飲んで、パソコンやって、寝るだけでしょ。私は、明日の出荷の準備とか、カゴ編み、ハーブの加工など、夜なべ仕事がいっぱいあるのよ。それに…」。
 「分かった、分かった」。
 あえなく降参。乗っ取られてしまった。
 「チクショー、おれがつくったんだぞー」。