平成18年10月12日 Vol 146
よかさ!
痛っ!
 夜中に叫んで飛び起きた。
 いつものようにうつ伏せに寝ていたのだが、突然、左胸に激痛が走ったので電気をつけ、もしやと思ってパジャマをばたばたはたいたら、ムカデがポトッと布団の上に落ちた。時計を見たら午前4時半。ちょうど心臓の上あたりなのでちょっと気になったが、大きなヤツじゃなく小振りのムカデだったので死ぬような心配はないだろうと自分に言い聞かせた。心強い同居人が犯人をぶちのめして抹殺してくれた。
 すぐに治療。君子さん手づくりの秘薬、「柿酢」を患部に塗ってもらう。思った以上に効果てきめんで、痛みが嘘のように引いて行った。
 この柿酢。赤く熟れた渋柿を酢に漬けて半年以上寝かせたものだという。
 2、3日痛みは続くだろうと覚悟していたが、夕方には痛みはほぼ消えていた。ただやたらにむずがゆい。それにしてもムカデの野郎、頭に来たぜ。いままでも、布団の上で見かけたり、寝ている顔の上を歩いてるのを払ったことはあったが、やられたことは一度もなかった。君子さんは太ももの付け根の大事な部分のすぐ近くをかまれたことがある。湿ったところや暗く狭いところによくいるが、なぜか干した布団も好きらしく、油断すると庭から取り入れた布団に紛れ込んでいることがある。干した洗濯物のパンツやシャツに隠れていることもある。パンツだったらタイヘン。
 お客さんが来ると干した布団に寝てもらうが、まだ叫び声を聞いたことはない。そろそろ騒ぎがあってもおかしくない。ムカデが好きではない方は、わが家への宿泊は考えて方がいいかもよ。ほかに大きなクモもいるし、ゲジゲジ、ヤモリ、ゴキもよく出てくるし、庭には毛虫やスズメバチもいる。畑にはマムシもいるぜ。
 
 と、ここまではきのう書いたのだけど、今朝になって様子が変わってきた。かまれた左胸が真っ赤に腫れあがり、Dカップぐらいの豊乳になって半おかま状態。しかも鉄板をはめ込んだかの如くカチンカチンになって、まるで鉄人28号。お触りしてもカタイから気持ちよくはなく、コーフンもしないのだけど、さらに面白いのが、真っ赤な部分がキレイなハート型になっているのだ。なんでハート型になるんだろう。心臓の上だからかな。
 
凶作。
 急に東京から、「子分のまさ」が遊びに来るというので、どうせなら獲れ立ての新米を食べさせてやろうと、あわてて稲の脱穀をした。台風でべったり倒されはしなかったものの見た感じが軽そうだったので覚悟はしていたが、案の定、実の入りは少なかった。例年、モミで10俵から11俵ほど穫れるのだが、ことしは大幅減の7俵半。凶作と言っていいだろう。数年前、虫にやられて半分ほどしか収穫できない年もあったが、それ以来の不作となった。昨年も虫の被害にあって8俵だったのでここんとこ2連敗だが、ま、しゃーんめえ。
 と達観しつつモミすりに持って行って驚いた。玄米にしたら、なんと4俵しかない。1俵は地主さんへお礼に持って行くので残りは3俵。1俵は30kg。これでは半年しか持たない。ガックシ。
 新米はうまいにきまってるけど、まさ、そういうわけだからな、わかってるな。

東京は眠らない。
 日経新聞主催、『ながさき田舎暮らしフォーラム』のパネラーで東京へ行ってきた。
 前日の午後、予約していた八重洲の某ホテルに向かったのだが、東京駅に着いたら突然の大荒れ天気。ホテルまで徒歩でわずか3分ほどなので意を決して風雨の中へ飛び出したのだったが、10歩ほど歩いたところで傘が吹っ飛ばされ骨がバラバラに。ビル風の突風に体までふらつく。雨も土砂降りで全身びしょぬれ。近くにコンビニがあったので飛び込んでビニール傘を買い、命からがらホテルへ飛び込む。ところがこのホテル、ビジネス専用らしいのだが、これが客室かと疑いたくなるほどの狭さ。うちのトイレくらいの広さしかない。インターネットで調べてここはと選んだのに大失敗。ともかく風呂に入って着替えをして再び荒れ模様の夜の町へ。
 ちょいとイイコトをして、そのあとは悪友が待ついつもの割烹へ。それが8時。それからあちこち渡り歩いて気がついたら3時半。ホテルに戻ったら午前4時になっていた。
 普段は焼酎3杯で9時には寝てしまう正しい生活を送っているので、翌朝はトーゼン寝不足の二日酔い。ふらふらとフォーラムの会場(日経ホール)へ向かっていたら、なにやら靴がカタカタ鳴りだした。見ると靴底がパックリ剥がれている。まだ何回も履いてないのに。何でこんな時にとつぶやきながら靴屋を探し新品を購入。地下鉄大手町駅の構内でうろうろしていたら、いきなり、「金子さん!」と見知らぬ人から声をかけられた。後援の長崎県庁の課長さんだった。 
 フォーラム終了後、こんどは昨夜とは別の悪友グループとの飲み会で世田谷の経堂へ。ここで午前2時まで。また寝不足の飲んだくれ都会生活。「ああ、ながさき田舎暮らしに戻りたい」とひとりさめざめ泣き伏すのであった。