平成20年10月9日 Vol 174 |
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取材旅行
勤めていた会社を辞めたのが14年前。その会社はゴルフ関係の出版社で、そこではずっと編集の仕事をしていた。辞める前の1年間だけ販売部という部署へ回され、それが辞める動機にもなったのだったが、それ以来の取材旅行である。
『書斎のゴルフ』という雑誌の編集長をしている親友のH君が仕事をくれた。プロゴルファーにインタビューして飛ばしの技術について書くというものだ。昔取った杵柄で、できない仕事ではない。とはいうものの、プロゴルファーに話を聞くのは20数年ぶりになる。ちょっとは緊張してもいいのだけれど、相手のプロゴルファーがまた昔から親しくしているOプロとあって、緊張感はゼロ。Oプロとは中学の同級生で、しかも親友。 なーにそれ? ハイ、なーにそれ、なのであります。 10月1日、朝一番のJALで長崎を発って羽田へ。しかしその前日、JALストライキのニュースが流れてひと騒動。台風15号接近も重なってハラハラ。しかし、すんでの所で台風は右へそれ、ストも解除となってどちらも間一髪セーフの悪運。午後には栃木県の那須に入る。H君の別荘が那須にあり、Oプロの自宅も那須にある。 ハイハイ、これまた、なーにそれ、であります。しかし人生すべからく、こうでなくちゃいけません。ラクして儲けるスタイルで行きまっしょう。 2日、那須高原の練習場で取材。「よう、しばらく」「元気だった?」まずは懐かしい昔話から。そしてH君がモデルになって飛ばしのレッスン。父ちゃん、会社を辞めてゴルフもすっぱり辞めちゃったから、最新のテクニックも道具もさっぱりの浦島太郎状態。取材のコツも忘れちゃって新入社員のよう。大丈夫かなと思ったが大丈夫じゃなかったのがあとで分かる。 お昼は那須連峰が一望できる豪華ホテルの最上階レストランでフランス料理のフルコース。プロのおごり。 午後はコースをラウンド。父ちゃんはゴルフを忘れちゃってるのでキャディをやる。キャディもやってみるとこれがなかなか忙しい。パットが終わってクラブを預かりそれをバッグに戻すのだが、どれが誰のクラブなのかがなかなか覚えられない。ボールも拭かなきゃいけない。カートの運転もする。ボールの行方も見ていなければ…。 飛ばし屋のOプロはさすが、終盤のショートホールで長ーいパットを決めてバーディをとると、次のミドルホール、なんとピンそばにワンオン。それを難なく沈めてイーグル! わお! 3日、H君と朝日岳登山。山の上の方は紅葉が始まっていて緑の中の紅葉がきれい。快晴で稜線からは遠く日光男体山まで見える。朝7時15分に登り初めて10時45分に駐車場へ戻ってきた。 下山後、鹿の湯温泉へ。古い温泉で雰囲気は上々。浴槽がいくつもあってそれぞれ42度、43度〜48度まで温度が書いてある。見ていると大体みな42度から入り始めて43度、44度と移っていく。46度になると片足だけ入れてみてアチチと飛び上がる人が出てくる。 見栄っ張りのやせ我慢、負けず嫌いの父ちゃん、こういうことになると妙に頑張っちゃう。誰も入らない48度に入っちゃった。2回も。「てやんでぇ、こちとら江戸っ子でぃ、水みてえなぬるい湯になんか入れるかぃ、おっ、いい湯加減じゃネエか、へっ!」(お、みんなこっちを見てやがるな、目ぇ丸くしてやがら。しっかし、手がぴりぴりするな、足もぴりぴりだ、ええぃ、もうちょい我慢するか、う、うっ…) 4日、原稿は1万字書かなければならないのだが、考えたらどうも一昨日の取材が足りなかった。で、プロの家に押しかけて改めて取材のやり直し。ついでに昼飯をご馳走になる。芝生を張りつめた広い庭でアプローチ合戦をしていたら昔を思い出してまた、ゴルフをやってみたくなっちゃった。そうプロに伝えると、プロが自分の工房をごそごそやってフルセット14本を揃えてくれて、グリップも全部新品に取り替えてくれて、「これを使えば」とバッグに入れてくれた。「え、これ、いいの?」 「シューズはある?」「ない」「ボールは?」「ない」「じゃ、これも」 「えーっ、ほんとにィ? なーにこれ!」 5日、東京へ帰って横浜の姉宅(母も同居)へ。娘と孫も駆けつけ一緒に食事。 6日、次男一家が駆けつけ一緒に食事。夜は新橋で昔の仲間F、U、S、Hと飲む。 7日、羽田〜長崎。帰宅したら宅急便でクラブが届いていた。 |