平成14年10月30日 Vol 63
スイスの旅
 10月19日(土)。「JAL世界の旅エッセイ・コンテスト」のご褒美で、スイスへ旅立つ。
 長崎の田舎からなので、まずは長崎空港から羽田へ。その晩は千葉の長男宅へ宿泊。
 10月20日(日)。成田10時30分出発。チューリッヒまで12時間は退屈なので、ひたすらワインとオールドパーをおかわり。ついには、キャビンアテンダントのおネエさまから、「あと1時間ほどで着陸しますが、大丈夫ですか」と、優しくにらまれる。「ふぁーい、ダイジョーブれす」。
 16時チューリッヒ到着。空港から電車でチューリッヒ中央駅へ。アッチの電車は自分でボタンを押してドアを開けて乗るのだが、これが分からない。「おーい、ドアが開かねーぞ」。
 駅前のリマトフ・ホテルに飛び込み、とりあえず今夜の宿を確保し、夜の街に繰り出す。 
ツェルマット
 10月21日(月)。チューリッヒ〜ツェルマット。
 今回は個人旅行なので、宿の手配から電車の切符までぜんぶ自分でやらなければならない。しかもなにも予約せずに来ているので、すべて行き当たりバッタリ。ま、でもそれが面白いんだけど。
 「さすがにスイスの電車ってきれいねえ」「座席も広いしなあ」と感心していたら、検札に来た車掌が、「ここはファーストクラスです。この切符は2等車です」。あわてて、隣の2等車へ。
 ベルンでは乗り換えに気づかず、1時間の時間ロス。
 ブリークで乗り換え、フィスプから登山鉄道でツェルマットへ。12時40分目的地のツェルマットに到着。
 曇っていてマッターホルンは見えず。まずはビールで腹ごしらえをし、宿探し。
 そして見つけたホテル・シーマ。これが大当たり。テラスつきの(晴れれば)マッターホルン・ビュー。宿の親父は日本人びいきの画家で、北斎のファン。
マッターホルン
 10月22日(火)。ゴルナーグラート。
 雲が厚く覆っているので眺めのよいクラインマッターホルンはあきらめ、ゴルナーグラートからツェルマットまでのハイキングを楽しむことにする。ところが、早朝の登山電車でゴルナーグラートへ登っていく途中、森林限界を越えたとたん、いきなり雲の上に飛び出し、青空が広がり、朝日に輝くマッターホルンが、ドッカーンと現れた。
 君子さんが歓声を上げる。父ちゃんも興奮する。
 ゴルナーグラートは快晴。午前8時40分。気温マイナス3度C。写真を撮る。
 「35年前、あの山頂に立ったんだよな…」。
 「よく登ったよな…」。
 いろんなことを思い出す。
 ひとしきりパノラマの展望を楽しみ、スパッツをつけて歩き出す。明け方降り積もった新雪がキュッ、キュッと鳴る。ほかに登山者は誰もいない。ふたりだけのマッターホルン。
 モンテローザ、リスカム、ブライトホルン。ワイスホルンもオーバーガーベルホルンも見える。
 みんな憶えてる。みんな昔のままだ。変わってしまったのは自分だけ。
 ツェルマットまで約4時間。万歩計を見たら3万1596歩。足が痛い。年老いた元アルピニスト。
 ディナーは、チーズホンデュとワイン。 
シュヴァルツゼー
 10月23日(水)。シュヴァルツゼー。
 フーリまでケーブルカーに乗って、フーリから登山。途中から吹雪きで、完全に冬山の様相。
 「雪が顔に当たって痛い」と君子さん。登ること2時間。風雪のシュヴァルツゼーに到着。
 ホテルが出来たり、ケーブルカーの駅舎が新しくなったりしているが、湖の脇の教会は昔のまま。
 マッターホルンは見えない。
 「ここにテントを張って何日も滞在し、ここからマッターホルンやモンテローザに登ったんだよ」
 君子さんに初めて絵はがきを書いたのも、ここのテントの中だった。アルプスに憧れて、どうしてもマッターホルンに登りたくて、会社を辞めてきた。その夢に見た山頂に立ったら、それはうれしかった。喜びを誰かに伝えたくて、それで絵はがきを書いたんだ…。
 教会の扉をひねったら開いたので少し驚いた。風雪をさけてふたりで中に入った。クリスチャンでもないのに祈った。いつだっていい加減な元アルピニスト。
 1時間待ったが、ついにマッターホルンは顔を見せてはくれなかった。同じ道をツェルマットまで引き返す。この日は2万7242歩。夕方から雨。スーパーでワインとパン、チーズなどを買ってきて部屋で食事。町は静か。紅葉がきれい。幸せな気分。 
ジュネーブ
 10月24日(木)。ツェルマット〜ジュネーブ。
 ホテル・シーマの朝食は豪華。パン、ホットミルク、コーヒー、シリアル、ハム、ゆで玉子、チーズ、ヨーグルト。
 親父は宿賃を20SFまけてくれる。ツエルマットの朝は遅く、8時を過ぎてもまだ町は薄闇。8時3分、やっとマッターホルンに朝日があたって山頂が輝き始める。その勇姿を駅前でカメラに収めて、8時10分発の登山電車に飛び乗る。きょうはジュネーブからパリへ。
 ローヌ川沿いを走る電車の車窓からの眺めは、「いかにもスイス」の美しい景色がいつまでも続いていた。