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       36 サイフの中身 (贅沢な暮らし)
 ディスクロージャー(情報公開)の時代だ。秘密はいけない。というわけで、琴海町の広報誌最新号で、町職員の給与と特別職の報酬状況が公開されていた。
 それによれば、町長の報酬は月額79万2000円。助役は64万6000円、収入役と教育長は60万7000円と出ていた。初めて知ったが、これが多いのか少ないのか、ぼくは知らない。どっちでもいい。
 左の写真は、きょうのぼくのサイフの中身だ。たまたま少ないわけじゃない。いつもこんなもの。ずーっとこんなもの。1000円札1枚になると、妻に言って2000円たしてもらう。1000円札1枚でもいいのだけれど、もしサイフを落としたとき、それじゃあ格好が悪いからだ。3000円入っていれば、まあ、格好はつく。
 サラリーマン時代、ぼくは助役とほぼ同じくらいもらっていた。当然、サイフの中身も万札でふくらんでいた。しかし、月末になれば、ふくらんでいた分は、確実にへこんでいた。気分もへこんだ。
 いまは、サイフがふくらむこともないが、これ以上、へこむこともない。だから、気分もへこまない。
 「それでよく平気だね」と言われるけれど、まったく平気。やせ我慢じゃない。慣れちゃえば、どうってことないんだよね。なければ、ないだけの暮らしをすればいい。別に開き直っているわけでもない。ただ、平気なだけ。ただし、誰でもそうできるかと言えば、それは分からない。これは個人の問題かもしれない。
  慣れてしまえば平気と言ったけど、逆に、慣れなければ、これは大変ですよ。お金がないんだから。流行の服が欲しいと思っても、お金がなければ買えないし、どこかへ遊びに行きたいと思っても、先立つものがなければ出掛けることはできない。大量消費生活から抜け出す、そのための意識改革は、まあ、やさしくはないでしょうね。たまたま、ぼくらは二人とも、それが簡単にできる変わったやつだった、ということなのかもしれない。
 ぼくは、田舎へ来てからまだ、一度も洋服やズボンを買ったことがない。洋服は着る機会もないし、ズボンだって古いのがいくらも残っている。だいいち、のら仕事や漁にはなんだって構わない。妻も、エルメスやカルダンなどにはまったく興味がない。
 ゴルフをしたいとも思わない。ゴルフは年間70回行ったこともあるほどハマったが、それだけやればもういい。夜のネオン街も、いまさらのぞきたいとは思わない。
 「遊び人と言われた男がどうしたの」と聞かれるが、どうもしない。金のかからない遊びはほかにもあるし、酒だっていまは、うちで飲むのがいちばんうまい。わざわざ飲み屋へ行ってはらすウサも持たない。
 
    遊びといえば、3年ほど前、佐世保で、「夢のふねコンテスト」というのがあった。手づくりの人力ボートでスピードを競うのだが、これに出て賞金30万円をもぎ取った。初出場で初優勝。会場をびっくりさせたが、これはおもしろかった。造船所に勤めるエンジニア、金集めのうまい友人、鉄工所経営の友人らを集め、自転車を改造した高性能の人力ボートをつくった。ぼくはトライアスロンで鍛えた足を持っているので、もちろん選手で出場。ぶっちぎりの優勝を飾ったのだった。
 「とても素人とは思えないんですが、職業はなんですか」とインタビューされたので、ぼくは、「百姓です」と応えた。スポンサーをつけたので、持ちだした金はゼロ。賞金30万円は、みんなでパーッと騒いで一晩で飲んでしまった。こういう遊びは、いかにも遊んだなという気がして楽しい。
  
 酒も、うちで飲めば金はかからない。自給自足の暮らしだから、酒の肴はいつだってある。新鮮な魚と野菜があれば、ほかに何もいらない。酒もほとんど買うことはない。季節の魚や野菜を友だちに送れば、好きなウイスキーが返ってくる。遊びに来る友人も、みんな家主が飲兵衛なのを知っているから、ちゃん下げてくる。飲んだって、遊んだって、金なんかかからないようになっているのだ。
 毎月、飲み屋に5万円も、6万円も払っていたのは、なんだったのか。
 金を使わないことでいちばんいいのは、金を稼がなくてもいいことだ。出るものがないのだから、入るものがなくたっていい。無理に汗水垂らすことはないのだ。
 税金とか、光熱費とか、ガソリン代とか、必要最低限のものは、稼がなければならないが、それさえ確保すれば、あとはなくたって生きていける。
 問題は、どういう生き方を望むかだ。それだけのこと。
 ぼくが住んでいるところは、8年前までバスも通っていなかった。そんな田舎でも、いまはどこの家にも大型テレビ、最新カラオケセットがあるし、各部屋にはクーラーが設置してある。車はトラックのほかに高級乗用車。若い人たちはゴルフもする。生活様式は都会と変わらない。これでは、百姓を辞めて、街へ働きに出なければ生きていけない。
 「自然の風が気持ちいいから、クーラーなんていらないよ」なんて、とぼけたことを言ってるのはうちだけだ。
 「その自然の風がいい」、と言う人たちが、街から何人も遊びに来る。長崎市から、佐世保市から、そして東京から、友人たちが訪ねてくる。なかには、そうやって何度も来ているうちに、近くへいい場所を見つけて越して来ちゃった友人もいるけれど、たいていは、そこまで踏み切れない。それはそうだろう。みんな、いろいろなしがらみのなかで生きているのだから。
 ただ、遊びに来た人たちが、帰り際に一様にもらすのは、「贅沢な暮らしだよなあ」という言葉。何度も聞いた。「長生きしますよねえ」。これもよく聞く。
 「おもしろいな」と思う。
 だって、ぼくのサイフの中身は、いつだって3000円しか入っていないんだぜ。