ケモシ


前200年頃『民数記』第21章(日本聖書協会訳『聖書』iconより)
 モアブよ、お前はわざわいなるかな、ケモシの民よ、お前は滅ぼされるであろう。彼は、むすこらを逃げ去らせ、娘らをアモリびとの王シホンの捕虜とならされた。
 モーゼと共にエジプトを脱したイスラエル人たちは、契約の地カナンを目指したが、その道中では、他の民族との紛争が起こることになる。モアブの地に到着したイスラエルはアモリの王シホンに使者を遣わした。この王シホンはなかなか英雄らしく、彼をたたえた詩の一節が、上に挙げたものだ。モアブ人たちを、その神の名で「ケモシの民」と呼んでいる。しかし、王シホンはイスラエル人たちがアモリを通過することを許さず、戦争となり、結局イスラエル人たちに敗れることになる。

前200年頃『士師記』第11章(日本聖書協会訳『聖書』iconより)
 あなたは、あなたがたの神ケモシがあなたに取らせるものを取らないのですか。われわれはわれわれの神、主がわれわれの前から追い払われたものの土地を取るのです。
 というのは、イスラエルのエフタが、使者を遣わしてアンモン人の王に言った言葉。この頃、イスラエルにアンモン人たちが攻め込んで来ていた。アンモン人たちはケモシを崇敬していたらしく、エフタはその神の名を出して、侵攻を止めさせようとしたわけだ。アンモンの王はそれを聞き入れなかったので、エフタ軍はアンモン人たちを攻め、これに打勝った。なお、この勝利には悲惨なエピソードがあり、エフタはアンモン人に勝利することができるなら、無事に家に帰った時、出迎えたものをYHVHに捧げる事を誓っていた。凱旋して出迎えたものは、彼の娘であった。娘はYHVHの生贄として殺される事となる。

前200年頃『列王紀上』第11章(日本聖書協会訳『聖書』iconより)
 そしてソロモンはモアブの神である憎むべきものケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた。
 ソロモンは妻達のためにケモシの拝殿をたてた。

1667年ミルトン『失楽園』icon第1巻(平井正穂訳/岩波文庫)
 次に来たのは、モアブ人らが畏れた邪神ケモシであった。この邪神が拝まれていた地域は、アロエルからネボに至る区間、またアバリム山脈南端の荒野、さらに、葡萄の樹の豊かに茂るシブマの花咲き匂う谷の彼方、シホンの領土、すなわち、ヘシボンならびにホロナイム、また、エレアレより瀝青漂う死海、にいたる地域であった。
 この後、「別の名はペオルであった」と続き、バールペオルと同一視されている。

1860年エリファス・レヴィ『魔術の歴史』icon第二之書教理の形成と実現 第一章黎明期の象徴表現(鈴木啓司訳/人文書院)
 彼ら曰く、それは髭を生やし口を開けた偶像で、舌は巨大な陽物であるというのだ。人々はこの偶像の前で恥じらいもなく裸になり、糞を捧げた。モロクとケモシの偶像は殺人機械と言ってよく、不幸な幼子たちをときに青銅の胸に当てて押しつぶし、ときに火で赤くなった両腕に掻き抱いて焼き殺したのである。人々は犠牲者の叫びを聞かぬよう喇叭と太鼓の昔に合わせて踊り、しかも母親がその踊りを先導したのであった。近親相姦、男色、獣姦は、このおぞましい民のあいだでは習慣として受け入れられ、そのうえ神聖なる儀式の一部となった。
 と、かなり陰惨な邪神崇拝が語られてるが、これらはタルムード学者たちと、ユダヤ人のプラトン主義者フィロンなどが伝えたことだとしている。ミルトンと同様、エリファス・レヴィもケモシとベルフェゴールを同一視していた。


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