ベリアル


前200年頃『申命記』第13章13〜14(日本聖書協会訳『聖書』iconより)
 よこしまな人々があなたがたのうちに起って、あなたがたの知らなかった「ほかの神々に、われわれは行って仕えよう」と言って、その町に住む人々を誘惑したことを聞くならば、あなたはそれを尋ね、探り、よく問いたださなければならない。
 これはモーゼが長々と語ったことばの一つ。欽定英訳では「Certain men, the children of Belial, are gone out from among you, and have withdrawn the inhabitants of their city, saying, Let us go and serve other gods, which ye have not known,Then shalt thou enquire, and make search, and ask diligently; and, behold, if it be truth, and the thing certain, that such abomination is wrought among you」となっており、「children of Belial」が「よこしまな人々」と訳されている。

前200年頃『士師記』第19章22(日本聖書協会訳『聖書』iconより)
 彼らが楽しく過ごしていた時、町の人々の悪い者どもがその家を取り囲み、戸を打ちたたいて、家のあるじである老人に言った、「あなたの家にきた人々を出しなさい。われわれはその者を知るであろう」
 これは、あるレビ人(イスラエル部族のひとつ)たちがギベアに行った時、そこに住む老人に宿を借りたが、ギベアの町の人々はレビ人たちを出すよう、老人に迫った時のセリフ。欽定英訳では「Now as they were making their hearts merry, behold, the men of the city, certain sons of Belial, beset the house round about, and beat at the door, and spake to the master of the house, the old man, saying, Bring forth the man that came into thine house, that we may know him」となっており、「sons of Belial」が「悪い者ども」と訳されている。ちなみにレビ人の妾だけがギベアの町の人々に差し出され、朝まで辱めをうけたあげく、主人であるレビ人に十二切れに断ち切られて殺されている。

前200年頃『サムエル記上』第10章27(日本聖書協会訳『聖書』iconより)
 しかし、よこしまな人々は「この男がどうしてわれわれを救うことができよう」と言って、彼を軽んじ、贈り物をしなかった。しかしサウルは黙っていた。
 これも同様に欽定英訳では「But the children of Belial said, How shall this man save us? And they despised him, and brought no presents. But he held his peace」となっており、「children of Belial」が「よこしまな人々」と訳されている。『旧約聖書』でのベリアルは、人々の心に宿った邪悪な心の象徴である。

前2世紀頃『ヨベル書』第1章(日本聖書学研究所訳『聖書外典偽典4』iconより)
 彼らにまっすぐな魂をつくってやってください。ベリアルの霊が彼らを自由にあやつって、彼らのことをあなたの前で謗ったり、彼らを罠にかけてすべての義からそれさせ、彼らがあなたに見放されて滅びることのないように。
 第15章にも「ベリアルの子」という表現があるが、両方ともイスラエルの民を異教徒に改宗させる存在となっている。

前1世紀頃『宗規要覧』第1章(日本聖書学研究所訳『死海文書』iconより)
 また共同体の規律に入る者はみな神の前で契約に入って、すべて彼の命じ給うたように行い、ベリアル支配下いかなる脅威や恐怖や試練や試みにも彼のもとを離れないようにしなければならない。
 以下、『死海文書』からの引用が続くが、『死海文書』では悪魔の名にベリアルが当てられており、大活躍?している。「共同体」所謂「クムラン宗団」の者達は、神と契約を結び、神の敵対者であるベリアルから遠ざからねばならない。

前1世紀頃『戦いの書』第13章(日本聖書学研究所訳『死海文書』iconより)
 また亡びのために敵意の天使ベリアルを作り、その罪と闇のはかりごとによって、悪を行わせ罪を犯させ給うたのもあなたである。そして彼に割当てられた霊、すなわち破滅の天使たちはみな、闇の掟によって歩み、みなこれに憧れる。
 この『戦いの書』は別名『光の子らの闇の子らに対する戦い』といい、「光の子」らと、ベリアルの支配する「闇の子」らの戦いを描いたものだ。全体的には軍事的規律について書かれている。「光の子」らと「闇の子」らは3回戦い、最初は「闇の子」らに押されるが、4回目で神の秘策によって打ち勝つという。

前1世紀頃『感謝の詩篇』第3章(日本聖書学研究所訳『死海文書』iconより)
 そしてベリアルの奔流はアバドンに突入し、淵の深みは泥を吐き出す轟音でざわめく。地は世界に臨んだ禍いのために叫び、その深みはいっせいにうめく。地上の者はみな気が狂い、大いなる禍いの中に亡び去る。
 アバドンは『ヨハネの黙示録』に登場する地獄の淵で、まさに原黙示録といった光景。『感謝の詩篇』では、この他にも、ベリアルが行う悪戯が、いくつか具体的に書かれている。

前1世紀頃『ダマスコ文書』第4章(日本聖書学研究所訳『死海文書』iconより)
 ベリアルの三つの網のことであって、それらについてはヤコブの子レビが言ったように、彼はそれらの中にイスラエルを捕えて、それら三つの種類の義として彼らの前に設けた。第一は姦淫、第二は富、第三は聖所を汚すことである。
 『ダマスコ文書』には、ベリアルがイスラエルの人々を堕落させる様子が描かれている。

?年『十二族長の遺訓』ベニヤミン(日本聖書学研究所訳『聖書外典偽典5』iconより)
 だから子供たちよ、お前たちに言おう。ベリアルは自分に従う者に剣を与えるのだから、彼の悪を逃れよ。そしてその剣は七つの悪の母である。まず心はベリアルをとおして理解する。だから第一にねたみ、第二に破壊、第三に患難、第四に補囚、第五に欠乏、第六に混乱、第七に荒廃がある。
 この一節は、真野隆也『堕天使』iconでそのまま引用されているため、ネットでもよく見かけられるものだ。『十二族長の遺訓』では、ベニヤミンだけでなく、全編にわたってベリアルの名が出てくる。まず長男ルベンは「姦淫」を「ベリアルのつまずき」とし、ベリアルを「姦淫」に当てはめている。次男シオメンも同様、「姦淫こそが悪の母であり、神からひき離し、ベリアルに近づける」と言う。三男レビは七つの天界のうち「第三の天には、迷いとベリアルの霊に復讐するために、審判の日のために整えられた軍勢がいる」、「そしてベリアルは彼にしばられ、彼は彼の子らに悪霊を踏みつぶす力を与える」という。縛られたベリアルはどうなるか、四男ユダは言う、「そこにはベリアルの迷いの霊はいない。永遠の火の中へ投げ入れられるからである」と。この他にもベリアルの名は出てくるが、多くは審判の時まで人々を迷わせ姦淫させ、最後に天の軍勢と戦う存在であり、このあたりは『死海文書』iconとかなり共通している。八男ナフタリは「魂と同様にことばも、神の律法かベリアルの律法かどちらかのうちにある」と言い、ベリアルと神を同格に見ている。

55年『コリント人への第二の手紙』第6章15(日本聖書協会訳『新約聖書』より)
 キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。
 使徒パウロが、コリントの教会へ送ったとされる手紙。キリストに敵対する存在として。ここでもキリストと同格に見られている。

1世紀頃『預言者イザヤの殉教と昇天』第4章(日本聖書学研究所訳『聖書外典偽典別巻2』iconより)
 さて、ヒゼキヤならびにわが子ヨセブよ、このときこそはこの世の完成のときである。それが完成されると、大いなる君にしてこの世の王たるベリアルがおりて来る。彼はそれができたとき以来これを治めててきたのであるが、その彼が人間、不法の王、自分の母の殺害者――この王はそういう者なのである――の姿をとって彼の大空から降りてくる。
 これより前の第1章から第3章にかけては、マナセ王に取り憑き、悪行を行ったことが書かれているが、第4章は黙示録的な内容となっている。ここではベリアルがこの世の支配者であったこと、その後「一三三二日ののち、主がその天使たちと聖徒たちの軍勢をともなって第七の天の栄光をもって第七の天から到来され、ベリアルとその軍勢もろともゲヘナに曳きこまれる」とされる。

1世紀頃『預言者の生涯』ダニエル(日本聖書学研究所訳『聖書外典偽典別巻1』iconより)
 北方に煙がのぼればバビロンの終わりが到来する。火のように燃えれば、全地の終わりである。南方に洪水が起これば、イスラエルの民はその故郷の地へ帰るであろう。血が流れれば全地にベリアルの殺戮が起こるであろう。
 これはダニエルが残した預言。この少し前にはネブカネザル王が家畜の姿となったとあり、それを「ベリアルのくびきの下」と表現している。また、ダビデの預言者ナタンの項でもベリアルは登場し、「ダビデがベテシバのことで罪を犯すであろうと予見したので、彼にこれを知らせようと道を急いでいたところ、ベリアルがこれを妨げた」という。

130年頃?『シビュラの託宣』第3巻(日本聖書学研究所訳『聖書外典偽典3』iconより)
 その後セバステの輩からベリアルがやって来る。彼は山々の峰を起こし、海や、大きな、火の燃える太陽や、輝く月をとまらせ、死人を起こし、多くのしるしを人々の間で行うだろう。しかし、それらは彼にあって実りなきものとなり、かえって人々を迷わせており、将来も多くの者、すなわち信仰のある者や選ばれたヘブル人や不法な者や、まだ神のことばを聞いていない他の人々を迷わすだろう。しかし、大いなる神の脅威が迫り、大浪によって火勢が地を訪れる時、その火勢はベリアルも、彼に信頼を置くすべての傲慢な人々も焼くだろう。
 この『シビュラの託宣』は旧約聖書偽典であるにもかかわらず、ギリシア神話の神々の名が多数登場する。それに混じって、ベリアルも登場。ここでは、どうも終末の時に現れる、アンチキリスト的な人物として描かれているように思える。

2世紀頃『シビュラの託宣』第2巻(日本聖書学研究所訳『聖書外典偽典6』iconより)
 しかし、予言者たちに代わって偽りのものたちが地上にあらわれ予言をするとき、刈り集めの時は近い。それからベリアルが来、人々に向かってたくさんのしるしをするだろう。そのとき、選ばれた、敬虔な聖徒たちの間に混乱がおこり、また彼らおよびヘブル人に対する略奪がおこるだろう。
 『シビュラの託宣』には新約聖書外典版もあり、こちらにもベリアルが登場し、やはりアンチキリストとして描かれている。

1338年グレゴリオス・パラマス『聖なるヘシュカストのための弁護』第1部第3問(上智大学中世思想研究所訳『中世思想原典集成3』iconより)
 すなわち彼は自然的認識で自然を超えるもの観察し、自然的理性や肉の哲学で、「聖霊においてのみ知らされる神の深さ」や霊的でキリストの知性をもっている人にのみ知られる聖霊の賜物を探求し、示そうと無遠慮にも考えている。愚かにも彼は神の敵となり、――不幸なことよ――ベリアルのように善き聖霊の業と恵みを無視し、「霊を通して、神から私たちが恵みを受けていることを知るために、神の霊を受ける」者たちに反対する。
 グレゴリオス・パラマスはビザンティンの神学者。これは神学書なので、じっくり見当しないと理解できないのだが、自然的理性や肉の哲学、ギリシア又はヘレニズム的なもの?を追求するものは、神の敵でベリアルだとしている。

1486年シュプレンゲル&クラメル『Malleus Maleficarum』Question IV(JD訳)
 彼はまたベリアルと呼ばれ、それは服従または支配されない者を意味している。というのは、彼は支配されることに逆らって、戦うことができるからだ。
 これは日本では『魔女への鉄槌』と呼ばれる、魔女狩りテキスト。その中に悪魔に関する簡単な解説がある。ここではベリアルは、支配されざる叛逆天使として描かれている。何気にかっこいい。

1587年『実伝ヨーハン・ファウスト博士』(松浦純訳『ドイツ民衆本の世界3 ファウスト博士』icon国書刊行会)
 さて、ベリアルは、毛むくじゃらで炭のように真っ黒な熊の姿でファウスト博士の前に現れたのだったが、耳は上に高く立ち、その耳も鼻も燃えるように赤い。長い歯は雪のように白く、しっぽは三尺ほどもある。肩には翼が三つついていた。
 このあと7人の悪魔(ルチフェルベルゼブブアシタロテ、サタン、アヌービス、デュティカヌス、ドラフス)が登場するのだが、ベリアルはこれら7悪魔の頭目としての、8番目の存在になっている。

1667年ミルトン『失楽園』icon第1巻(岩波文庫)
 天から墜ちた天使のうち、彼ほど淫らで、また悪徳のために悪徳を愛する不埒なものは他にはいなかった。彼を祀る神殿も、彼を崇めて香を焚く祭壇も、設けられなかった。にもかかわらず、神の家を淫欲と暴力をもって完膚なきまでに荒らしたエリの子のように、祭司たちがひとたび背神の徒と化したとき、このベリアルほど、いたるところの神殿や祭壇で頻々と祀られた者もいなかった。
 という風に、悪魔の中でも最も邪悪な堕天使とされているが、第2巻目ではベリアルが演説を行うシーンもある。ベリアルは「他人の耳を擽る術が見事」とされている。

1812年コラン・ド・プランシー『地獄の辞典』iconベリアルの項(床鍋剛彦/講談社)
 ベリアルは美しい天使の姿で、火の車に乗って現れることもある。話しぶりは穏和で、人に地位や寵愛をもたらし、友情を長続きさせ、有能な召使いを世話してやる。
 プランシーの悪魔事典では、何気にいいひとだったりする。

1860年エリファス・レヴィ『魔術の歴史』icon第三之書第三章悪魔について(鈴木啓司訳/人文書院)
 ベリアルは永遠の反抗と無秩序の神である。これらはいずれも、消え入りそうな理性が抱く死に憑かれた想像物である。この理性は己の死刑執行人に一気に片をつけて責苦を終わらせるため、卑劣にも彼を崇めたてまつるのである。
 当然、エリファス・レヴィ(1810〜1875)の時代には、悪魔は妄想の産物、悪徳の擬人化とされている。ベリアルが反抗の神なのは、『Malleus Maleficarum』を参考にしたのかもしれない。


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