いじめ問題について民間団体は何ができるのか?

いじめが起こった時、その解決手段、解決方法は様々あるでしょう。
一番いいのは学校をはじめとする公的な機関が、解決に動いてくれることです(いじめは学校のみで起こるわけではないですが、子どものいじめに関してはその多くが学校で起こるので学校を例にあげています)。
公的な機関は、公正中立、法律や条例などの根拠に基づいて、解決、改善をおこないます。いじめを含む子どもを取り巻く問題の多くは、そういった法律や条例、それを根拠に動いてくれる機関によってしっかりと対策され、子どもは守られています。

守られているはずです。

ハズ・・・ですが、そこから漏れている事例も少なくありません。
なぜ漏れるのでしょうか。いじめをキーワードに考えていこうと思います。

あるいじめ被害の経験者に話を聞いたことがあります。
その方は小学校でいじめにあっていて、ある時先生に自分がいじめられていることを伝えると、校長先生も間に入って、いじめていた人たちを謝らせるという形で解決しようとしたそうです。
でも実際にはそれでいじめはおさまらず、むしろひどくなってしまい、中学校に入ってもいじめは続きました。
中学校の時にも先生に自分がいじめられていることを伝えると、その先生は頑張って動いてくれました。しかしいじめはおさまらなかった。
その後その先生はいじめが解決したと思って、「大丈夫か?もう何もないのか?」と聞いてきてくれたそうですが、その方は過去に先生に言っていじめがさらにひどくなった経験もあったので「大丈夫です」と答えました。
それでも先生たちの見えないところでいじめは続いていたそうです。

上記の話。最終的に中学校の先生は、いじめは解決したと思っています。しかし実際はそうではない。
でも数値として、その学校で起こっていたいじめは、少なくとも1件は減ったと捉えられてしまうわけです。
この時点で「学校にいじめはありますか?」と学校側が聞かれても、少なくともこの方の事がいじめとしてカウントされることはないのです。
それは即ち公的な機関が言う、事実が確認できない、ということです。でも実際にはいじめは起こっている。
根拠を活用するための事実がなければ事例としてすら取り扱われないので、特に対策もされない、ということです。
事例に対して何を根拠に動けるのかを考えるのは必要なことですが、そもそもを見過ごしてしまうこともある現状では、漏れる事例があってもおかしくはありません。

学校に行けない子どもたちの中には、登校しようとすると頭痛がしたり腹痛がしたり吐いたりする子どもがいます。
そういう子どもたちの中には、頭痛や腹痛に効くはずの薬を飲んでも痛みがおさまらない子どももいます。
医療機関を受診しても、特にこれといった原因を特定することができないということも多いです。
でも登校しようとすると子どもは痛がる。吐く。
頭痛や腹痛の原因がハッキリとわかれば、対処のしようがあります。効く薬や治療法もあるでしょう。しかし原因がわからなければ、すぐにおさまるように対処することは難しい。
この場合の原因が、公的な機関が言う根拠にあたると僕は考えています。
“痛い”では根拠不足なのです。
なぜ痛いのかがハッキリしなければ、どうにも動けないというのが現状だと思います。
もちろん原因がしっかりわかっていれば、間違いなく対処、改善はなされます。

もぐりをはじめとして、公的な機関ではない、いわゆる民間団体は多く存在します。
民間団体のほとんどは、公的な機関と全く違って力がありません。
調査や解決への関わり、法律や条例を根拠としての対策はできませんし、システムも公的機関には全く敵いません(当たり前のことですが)。

でも、痛みに手を当てることはできます。
頭が痛いときは頭に、お腹が痛いときはお腹に、吐きそうなときは背中をさすることができます。

なぜか。

その痛みが真実だと、本当に痛いんだとちゃんとわかるからです。
根拠や原因なんて必要ないんです。
別に手を当てたところで痛みが引くわけではありません。つまり、解決はできないんです。
でも、手を当ててほしい瞬間は必ずあり、そんな時はどんな万能な薬よりも、どんな完璧な法律よりも、たったひとりの手のぬくもりの方が重要なのです。
民間団体の必要性はそこにあると思います。

解決とは、根拠に基づいた対処と、根拠を必要としない寄り添いの両輪が必要です。治療だけではなく、“手当て”も重要です。
そのどちらか一方だけでは、完璧を目指したとしてもほど遠いのだと、僕は思います。

不登校・ひきこもり支援~もぐり~
古豊 慶彦

2018年01月26日